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川西妙見宮


岩戸スフィンクス(呉麓山)の東側中腹に在って、古代史上、重要な神社です。

















こうした由来は、ごちゃごちゃにしてあって、よくわからないでしょう。

昔の人は今より信心深いですから、そんなにあっちこっち移転させるはずがないんです。

難解にしてわからなくしてあるようです。この神社の由緒深さは方位線が証明しています。












 ここに伝わる昔の祭りは、ふもと周辺の複数の地蔵さまを背負って、ここまで登ったそうです。

 この祭りもまた一連の物語を「祭りという形で記録」しているようです。





境内から呉麓山の頂上がよく仰げます。


川西妙見宮の位置

N 33度57分47.2

E 131度59分59.9

位置精度 +−4m

拝礼方位 333度


防長風土注進案 川西村風土記より引用

当村美和川を隔て、東は宿井にて西は当村にあたり候故、

すなわち三輪川の西と申す事の由、申し伝え御座候。

往古は美和庄と唱、(以下人物名により省略)



神祠之事 妙見社

当社の義は西小山村の内に鎮座ありて、旭之峯と云麓より四町半余り登る。



上の由来、『 旭 』の部分ですが、呉麓山は日の沈む所として夕日が主体です。

さらに、川西地区から呉麓山は西の方向にあり、どう大目に見ても朝日にはなりません。

川西妙見の境内から朝日を見て、そう言ったのか、とも思いました。

旭の不可解な部分をと解釈すると、東南北に伸びた尾根が浮上してきます。「極の峯と云」と訳せます。

(辞典より『極』) ●地軸の両端 ●地軸の延長が天球と交わる点 ●磁石の両端にあって磁力の最も強い部分。




川西妙見宮・方位線分析結果

拝礼方位 333度





上図中の遺跡解説ページ (内部リンク)

熊毛神社   南山   物部守屋大臣   雑石(ぞうし)スフィンクス


岩戸スフィンクス  波野スフィンクス  大波野天神



社殿に向かって右手方位線分析





岡山県総社市の拡大図は下の図です。





上図中の遺跡解説ページ(内部リンク)

鬼ノ城神籠石   作山古墳   こうもり塚古墳(黒媛塚古墳とも)  造山古墳







方位線は船塚古墳を通っています。

船塚古墳は福井県三方上中郡若狭町日笠にある二基の前方後円墳です。

二基が並んでいることにより夫婦塚とも呼ばれています。特筆は、前方部を西側に置き、主軸線が

東西を指していることです。この古墳は拝礼を前方部の先端から後円部方向に向いて拝礼します。

つまり、前方部先端の丘から後円部方向へ向いて拝礼しますから、拝礼方向は東です。

昇り来る朝日と共に拝礼する方法であり、それは岡山の作山・造山古墳と同じです。

ということは、船塚古墳は、岡山の作山・造山古墳と築造時期はそう離れていない、ということにもなるのです。





社殿に向かって左手方位線分析





方位線は中津市の闇無濱神社から山国川の中洲を通っています。

さらに吉富町広津の天仲寺古墳も入っています。ここは神武遠征の九州侵入地点です。







方位線が遠距離になると少しズレてはいますが、吉野ケ里遺跡を指していることは明白です。





社殿の前面方位線






岩戸スフィンクス(呉麓山)の東側中腹にある川西妙見宮の方位線は以上です。



ひかり観音





この呉麓山の中腹に「ひかり観音」という岩があります。

上の写真だと左側の中腹の辺りにあります。

古記録にも記してあります。行ってみましょう。


















なんの変哲もない岩みたいですが、道から見上げると、観音様の顔になります。




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