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豊国の宇沙
古事記 中巻 通称「神武天皇」の段より 解読著者
神倭伊波禮毘古命(かむやまといはれひこのみこと)、その伊呂兄五瀬命(いつせのみこと)と二柱、
高千穂宮に坐し、議りて云う。いずくの地に坐せば、平らく天の下の政りを聞かん。なお東行(投降)を思う。
すなわち日向より発ち竺紫に行幸。故、豊国の宇沙に至りし時、そこの土着民、名を宇沙津比古(うさつひこ)、
宇沙津比賣(うさつひめ)の二人、足ひとつの騰(あがり)の宮を造りて大御饗(おおみあえ)たてまつる。
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通称、神武東征物語の「豊国の宇沙」の場面です。
神武一行が上陸地点を決定する背景には河口の「中洲」が大きなウエイトを占めています。
中洲を占領しますと、天然の堀(河)に囲まれた安全地帯が短期間で出来上がります。
河口ですから水もありますし、海の幸も獲れます。中洲は実に実戦に合理的な場所と言えます。
少し話しが遠くに飛びますが、神武一行の上陸地点はここだと確信したのは、
山口県萩市を研究すると、神社の方位線によってあらましを記録してあります。
国内侵入は日本海側の萩市から侵略を開始したようです。そうして中国山地を越えます。
壮烈な山越えをしてヤマトの中心地点(からと水道)に攻め入ったようです。
その侵入経路を見ますと、陸戦を得意とする民族特有のものです。
萩市にも同じように中洲がありまして、その中洲を取り囲むように五社の神社があります。
その五社の中に鶴江神明宮という神社がありまして、その神社の方位線がピタリと、
ここを指し示しています。その正確性がどのくらいのものかを写真で載せてみます。
鶴江神明宮・前面方位線の広域図です。
八幡古表神社の地域を拡大してみたのが下の図です。
ごらんのように方位線は正確に中洲に上陸しています。
はるか遠くの萩市からここだと指し示しています。
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こんどは神武東征でよく語られる宇佐神宮を見てみますと、
これも萩市の志都岐山神社が指し示しています。
西都原古墳群が方位に入っています。
では、中津周辺を見てみましょう。内部リンクです。
八幡古表神社 天仲寺古墳 闇無濱神社
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