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天仲寺古墳
てんちゅうじこふん
福岡県築上郡吉富町広津
2014年7月23日撮影
八幡古表神社のページと合わせて考察ください。
下の赤◯印は最初の写真の所です。 上の赤◯印は天仲寺古墳のある地点です。
建物の向こう遠方に薄っすらと見えている平らな森が八幡古表神社のある所です。
この天仲寺山からだと真北方向に八幡古表神社があることになります。
八幡古表神社が宇佐神宮と密接な繋がりがあることがわかります。
私が見学した限りで率直に申しますと、「二重の周溝をもつ三段築造の円墳」とありますが、
いずれも確認できませんでした。これが円墳とするなら、天仲寺山そのものが墳丘であり、
極めて巨大な墳丘であるということになります。そもそも、山の崖に横穴を開けて巨大な花崗岩
で横穴を形造ってあるのです。だから周溝も円墳もないです。どれを言うのか、よくわかりません。
この天仲寺古墳は、いわゆる、この地方に多く見られる横穴群が進化していく過程の延長上に
あると思います。その横穴群は現状では墓ということになっていますが、私はそうは思いません。
神々は洞窟から現われた、という我が国の洞窟信仰の跡であり、横穴(洞窟)そのものに
神々は宿り、そして出現する、という原始信仰なのです。だから、洞窟そのものが神殿であり、
神でもあるのです。そうした信仰を引き継ぐかのように吉富平野を見おろす天仲寺山の中腹に
横穴を造り、そこに被葬者を安置(埋葬)して神として崇めたと考えられます。
もしそうなら、六世紀後半どころか、縄文・弥生時代の原始後期にまでさかのぼるのです。
赤矢印の崖下、約数メートルの所に天仲寺古墳があります。
こんな崖に足場を組んで古墳の入り口に行くのです。
この急な足場を下っていきます。
崖の中腹に古墳の入り口が見えてきました。
豊築地方最大の築石というだけあって天井石だけでも数十トンはありそうです。
この崖で、この巨石を組む、というだけでも普通の平地古墳とは条件が違います。
あたかも現代の我々に「どうだ」と見せつけられているような気がしました。凄いです。
200度(南南西)方向に開口。
八幡古表神社はここから見て0度(北)方向にあります。
古墳の真上辺りの山上で撮影しました。この約数メートル下の崖に古墳の横穴があります。
この風景を見ましても、ふもと平野の何処からでもこの山(墳墓)を仰げる位置にあります。
それほどこの古墳の被葬者は慕われていた、ということにもなりましょう。
八幡古表神社の前面方位線はこの古墳を指し示していることから、この古墳こそ古事記に
記載してある「ウサツヒコ・ウサツヒメ」に相当する人物のどちらかであろうと考えられます。
「どちらか」という言葉を使いますのは、もう一基、重要な古墳がありまして、古事記では
この地だけ2人の人物を記しています。他の地ではその表現は見られません。ここだけです。
そのことからも、2人(2つ)という意味が大事になってきます。もう1人(1つ)は闇無濱神社の
ページで研究してみることにします。 闇無濱神社のページはこちらです。
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