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 侵攻の記録 足あとの神社群    

 第28番  八幡八幡宮   山口県熊毛郡田布施町大波野     


                                    上写真・撮影年月日 2011年8月  

 防長風土注進案 より   
 風土生産書出  熊毛郡上関御宰判    

 上田布施村  
 田布施といへるは上代秋田刈上の時、田屋といへる辺曠地にて刈収の便利宜しからずに付き、
 田ごとに仮の庵をしつらひ其業を営しよりして田廬とは名付けしを、いつとなく一郷の総名と成りて、
 当郷、国木、竹尾、真殿までも田布施と唱へ来たり候の由、古老申し伝へ候。
 田布施一村の廣狭往古二千七百石にて御物成七ツ三歩成被召上候、八ヶ国の御時、田布施、
 波野の内海にて寺家田と申す所、大潮満干ありし、此所を唐戸の迫門と申し候由、然れども総て
 浅海にして干潟の地多く、依之天正十三年御當職佐世長門守様御見分の上、御開作被仰付、(以下略)    

 下田布施村
 当村を田布施と申す事は往昔民屋無数時、曠地の田毎に仮の庵を結ひて刈収の不自在を便し候よりして
 田廬とは呼び候を、いつの比よりか田布施と文字を書きかへ候よし古き事にて相知れ難きと古老申し伝へ候、
 むかし菴を設けし所を田屋と申し候て今は人家もありし候。    

 波野村 (はの)  
 波野といへる村名、其のむかし東は大嶋鳴戸より南は麻里布の沖へ潮行き通ひ候時、
 波の打ち寄せる野といふ心より波野と呼び習はせしと閭里に申し伝へ候。

 大波野村 (おおはの)   
 波野は往古此の辺りまでも海水満ち来りしより波野といへるよしは波野村の部に譲り候、
 当村を大波野とはもと奥の文字なりしをいつしかに大の字に改め来りしと村中の申し伝へに候。

 八幡八幡宮 (やはたはちまんぐう)  
 祭神 仲哀天皇 応神天皇 神功皇后    
 鎮座 貞観年中宇佐八幡宮男山御遷座の節この地海にて麻郷麻里府より柳井への船路にて
 爰に御繋船あり、鉾を残し置かれけるゆへ是を御神体として此の八幡山に勧請し、大波野波野
 両村の氏神と崇め祭り申し候事。   
 祭事 (前文略)当社は一国一社の宮にして諸国神社拝礼廻国の輩悉く札を納め、神号社号等
 納経帳へ書記候事古来より連綿し候。    

 

 八幡八幡宮・一の鳥居   拝礼方位 335〜345度    納蔵原古墳拝礼     
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 八幡八幡宮・二の鳥居   拝礼方位 350〜360度   天王原古墳拝礼     
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 八幡八幡宮 本殿拝礼方位 270度     

 拝礼方向 ⇒ 専福寺 ⇒ 田布施町宿井(深田古墳の近く)・福岡県宮地嶽とウリふたつに見える地点 ⇒ 田布施町・稲荷山古墳 ⇒ 城南古墳群(施設建設によって破砕) ⇒ 川西妙見宮 ⇒ 光市光井・新畑・浄真寺 ⇒ 島田川河口 ⇒ 笠戸島・尾郷 ⇒   

 前面方向 ⇒ 万葉集・巻一 19番歌の詠まれた地点(現・余田JA市場付近) ⇒ JR柳井駅(過去に何があったか?) ⇒ 水口茶臼山古墳 ⇒ 周防大島町・頭島  ⇒      

 社殿に向かって右方向 ⇒ 大波野・天王原古墳 ⇒ 玖珂町筏山古墳(国道工事によって破砕) ⇒ 玖珂町臼田(東側約5百メートルに臼田古墳) ⇒ 仏峠 ⇒ 二鹿 ・河内神社 ⇒       

 社殿に向かって左方向 ⇒ 平生町水場・教相寺 ⇒ 神花山古墳 ⇒       











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