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 椎尾八幡宮  岩国市岩国四丁目   

 参詣・撮影・2007年4月    再編集・2012年2月      



 椎尾八幡宮は同じ名称で二社あります。一社はこの錦帯橋そばの椎尾八幡宮。
 そして、もう一社は同じ岩国市大字角という所にも同じ名で椎尾八幡宮があります。
 どちらも由緒深い神社です。同じ名という部分では岩隈八幡宮と共通しています。  




 境内に駐車場はありますが登る道が狭いので、錦帯橋の河原にとめたほうがいいようです。   
 上の写真、画面左手方向数百メートルの所に錦帯橋があります。






 参道中腹に稲荷社があります。
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 参道脇には多くの祠堂があります。その内の一社です。   
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 参道から望む岩国の町並み。右手方向に錦帯橋と岩国城があります。    
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 椎尾八幡宮 拝礼方位 97度  計測・2007年4月  再分析及び再編集・2012年1月〜2月       

 拝礼方向 ⇒ 広島県倉橋島 ⇒ 愛媛県今治市 ⇒ 和歌山県新宮市・三輪崎    

 社殿前面方向 ⇒ 岩国市杭名の神社 ⇒ 岩屋観音・玖珂鉱山跡 ⇒ 須金 ⇒ 金峰・松枝の神社 ⇒ 鹿野下・大泉の神社 ⇒ 巣山・中村の神社 ⇒ 徳地八坂・下八坂上の神社 ⇒ 美東町・長登銅山跡 ⇒ 土井ヶ浜遺跡 ⇒ 対馬の黒隈山   

 社殿に向かって右方向 ⇒ 柳井市小国茶臼山古墳 ⇒ 琴石山 ⇒ 室津半島・皇座山 ⇒ 愛媛県佐田岬半島・半田 ⇒ 佐伯湾 ⇒ 日向灘   

 社殿に向かって左方向 ⇒ 岩国山の西麓 ⇒ 島根県温泉津(正確には黒松)   


 分析しての感想   
 全体を見ますと方位線の最終地点で三輪と黒が主体になっています。
 それは美和(三輪)の大物主の神を意味しており、別のページでも考察しましたように大物主の神は別称が天竺毘首羯磨でありインド人です。
 今の時代に黒というと人種差別用語にもなってしまいますが、インド人は肌の色が濃いので昔は黒で通用したのでしょう。
 方位線は多くの銅山跡を指しています。そのことから羯磨が銅山発掘に関係していたと推察できます。
 そもそも羯磨は彫刻に長けていたようで、羯磨作の由来を持つ木彫仏は今も古い寺院に幾つか残存しているようです。
 木彫に長けていたことはそのまま石彫にも当てはまります。
 この椎尾八幡宮に羯磨が関係していることは、祀られている祠堂に現われており金刀比羅社があります。   
 羯磨は俗に言うエビスダイコクのダイコクさまでもあります。ダイコクさまは、いつも米俵の上にいらっしゃいます。
 それは稲作の伝播ルートをも意味しているものです。東南アジアから台湾、沖縄、九州と伝わった海のシルクロードでしょう。  










 次に椎尾八幡宮の前面方位線は豊北町の土井ヶ浜を指しています(下の写真)。
 それは実に正確に土井ヶ浜の砂浜に到達しています。
 土井ヶ浜遺跡と長登銅山跡の繋がりは別ページでも考察しました。
 古代に日本海側から大掛かりな侵略があったようです。
 その侵略は幾つものグループに分かれていて、あるグループは萩市から室津半島へ、
 またあるグループは温泉津から中国山地越えで岡山に侵入したことが推察できます。
 先ず日本海側の守りの弱い地域を攻めて上陸し、内地深くへと侵入して陸側から攻め込む戦法です。
 当時の人々にとって、まさか山側から攻め込んで来るとは想像だにしなかったことでしょう。
 そしてやがては瀬戸内に入り込み、九州の宇佐(吉富町・中津)へと侵入していきます。
 すべて内陸側から攻め込むという守りの手薄な地域ばかりを突いていることがわかります。
 その戦乱で犠牲になった人々が土井ヶ浜遺跡に葬られているようです。
 椎尾八幡宮はその地を前面にして追悼しています。だからこそ国司社でありましょう。








 次に、椎尾八幡宮は「万葉集の磐国山の歌」の由来を持つ神社です。
 玖珂郡志という享和時代(1801〜1804)に書かれた岩国藩の由来記では、
 その磐国山の万葉歌一首に対して実に多くの内容(ページ)を盛り込んでいます。
 やはり城下は強いと思わざるを得ません。「岩国山」という名の山も椎尾八幡宮のすぐ近くにあります。

 しかし、現状での諸本の解釈としては、歌の磐国山は欽明路峠だとしてあります。
 私もそう思っているんですが、いったいどちらが万葉の磐国山なんだろうと考え込んでしまいます。
 率直に申しまして、歌の磐国山として考えられる山は九州を除いて三つありまして、
 有力な順に岩国山・欽明路峠・そして由宇の銭壺山も有力候補として入ります。
 そうして考えますと、旅人にとって山の名はわかりませんから、たとえば
 東京の山とか大阪の山というふうに広範囲な表現で「岩国の山」と呼んだのであろうかと結論付きます。

 磐国山の歌は一首だけではなく、二首の歌でセット(合わせ)になっています。
 その合わせになっていることは知られていますが、現状では九州の福岡県「志賀島」を詠んだ歌となっています。
 もちろん志賀島も入っているんですが、「志賀島」と「磐国山」とでは極端に離れています。
 それでも、歌には「たぐいてそ来し」とあるため、無理やり納得していました。
 二首の歌をもう一度解読してみることにしました。


 万葉集 巻第4  (解読・イワノトミノカズマロ)   
 566  
 草枕 旅行く君を 愛しみ 添はせてそ来し 獅子の浜辺を
 くさまくら たびゆくきみを うるわしみ そわせてぞきし ししのはまべを

 解読を「鹿」にすると、「福岡県・志賀島」と「佐賀県・鹿島」になります。
 その場合、石国山(いわくにやま)は雷山を指します(筒城神社跡方位線)。
     
 地図で志賀島と鹿島とを線で結んでみますと、雷山にかかります。
 その線が雷山にある筒城神社跡の方位線です。

 567
 周防なる 磐国山を 越えむ日は 手向けよくせよ 荒きその道       
 すおうなる いわくにやまを こえむひは たむけよくせよ あらきそのみち  


 この磐国山の歌は人を惑わす面がありまして、先に載せました歴史上の
 最も重要と言える部分がこの磐国山の歌を争うことによって隠されてしまいます。
 八方美人な歌であるということを認識しておく必要があります。

 万葉磐国山に関連する神社      
 角・椎尾八幡宮  岩国・白崎八幡宮  玖珂・岩隈八幡宮  祖生・岩隈八幡宮     
 なお、歌に関連しているのは神社だけではなく欽明寺などの寺院も入ります。   


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