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侵攻の記録
萩市 鶴江神明宮 萩市大字椿東4011番地
赤矢印の所に鶴江神明宮
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平和橋を渡って左折しますが、道が極端に狭いので乗用車では入らないほうがいいと思います。
私はレンタサイクルで参詣しました。
参道石段からは指月山がよく見えます。
鳥居にも方位線がありまして、適当に建ててあるわけではありません。
特にこういうふうに社殿に対して曲折している参道鳥居は方位に意味を持っているものが多いようです。
鳥居も最初は木造で、社殿と同じように何度も建て替えられ、やがて石造になったのだろうと思います。
計測数値は社殿方向に向かっての拝礼方位が35度前後でした。
その数値から分析しますと、前面方位(社殿に向かって背後方向)に重要な地点が多く見られました。
方位線の通過地点をつなぎますと次のようになります。
鳥居(前面方向) ⇒ 美祢市 ⇒ 福岡県・鹿毛馬神籠石 ⇒ 三養基郡
境内からは菊ヶ浜がよく見渡せます。
鶴江神明宮・神殿
ここの山(島)は鶴江台とも言いますが、古記録では浜崎宰判になります。
私の閲覧不足とは思いますが見あたりません。
裏を返せば古記録から消してしまうほど重要だったということでしょうか・・・。
何処の社寺もそうですが、戦国大名によって由来を大なり小なり変えられてしまっています。
神代の太古から在ったものを、あたかも創建したように記録を書き変えているわけです。
書き変え(改ざん)がなされていることを証明するものとして方位線があります。
鶴江神明宮の方位線は神武遠征の重要拠点を指し示しています。
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鶴江神明宮 萩市大字椿東4011番地
北緯 34度25分24.6秒 東経 131度24分09.8秒 +−6m 拝礼方位 12度
社殿の前面方向 ⇒ 美祢郡権現山(近くに長登銅山跡) ⇒ 福岡県と大分県の境界・山国川の中州(地名・小祝)に上陸 ⇒ 中津城 ⇒ 天仲寺古墳の近く ⇒ 穴ヶ葉山古墳の近く ⇒ 耶馬溪 ⇒ 阿蘇市・大観峰西側付近
拝礼方向 ⇒ 萩市笠山ふもとの明神池 ⇒ 大島・赤穂瀬
社殿に向かって右手方向 ⇒ 広島県佐伯郡宮島(厳島) ⇒ 四国中央市・川之江
社殿に向かって左手方向 ⇒ 対馬の北側4キロの海上
分析の正確性には神経を使いました。
方位線はご覧のように山国川の中州(地名は小祝)に上陸しています。
不明点として、方位線は中津城の直近を通過するわけですが、中津城が築城される前には何が在ったか知りたいものです。
と申しますのも、城は古墳の上に建てられることもあるからです。地域の神(古墳)と共に城はある、という思いでしょうか。
もし元が古墳だったなら、天仲寺古墳と並びであり、神武遠征物語通りに夫婦と考えられます。
また穴ヶ葉山古墳をあてることもできますが、天仲寺古墳とでは少し距離が離れているような気もします。
八幡古表神社についてはこちらのページに掲載しています。
写真でわかりやすいようにスケールを使いました。実際には定規で線をひいています。
本殿に向かって右側に祀ってあります。
本殿に向かって左側に祀ってあります。
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