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古事記より

故、豊国の宇沙に至りし時、そこの土着民、名を宇沙都比古(うさつひこ)

宇沙都比賣(うさつひめ)の二人、足ひとつの騰がりの宮を造りて大御饗たてまつる。



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八幡古表神社

鎮座地 福岡県築上郡吉富町大字小犬丸字吹出浜





海抜ゼロメートルと言えるほどの所に八幡古表神社はあります。

山国川の堤防からですと、見おろす感じになります。

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画面右、ガードレールの向こうに見えている大河が山国川の河口です。

山国川の対岸(画面右)は中洲です。八幡古表神社は画面には入っていませんが、左手に在ります。

まさに海から1歩で上がれる所であり、「足ひとつのあがりの宮」と記してある古事記の物語通りです。

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拝礼方位 25度




























八幡古表神社 方位分析図

拝礼方位 25度


拝礼方向



赤矢印の所にある篠目神社は、侵攻経路を記した「足あとの神社群」の中の一社です。

下の図は足あとの神社群の全域図ですが、黄色の丸印の部分が篠目神社です。



八幡古表神社の拝礼方位線は侵攻勢力が上陸して間もない所にある篠目神社を拝礼しています。

その意味するところは、八幡古表神社が侵攻経路と連係している、という事を訴えています。




前面方向



通称、神武東征物語は侵攻経路を示すと同時に、激戦に敗退したその地の王の陵墓をも記録しています。

黄色丸印の地点には天仲寺古墳があります。神武東征物語の他の場所でもその地の支配者の陵墓を

見出すことができることを思うと、ここもわかるように神社で記録してあるようです。物語では二人の名が

あります。それは穴ヶ葉山古墳と連係しているようです(闇無濱神社のページで考察します)。


天仲寺古墳は六世紀後半の築造と推定されているようです。こうした古墳の築造年代の決定は

難しいものがあるとは思いますが、天仲寺古墳はもっと古い時代の築造ではないでしょうか?





右方向 

社殿に向かって右手の方向です。



熊野磨崖仏は通称名であり、不動明王と大日如来の2体の磨崖仏があります。

向かって左に不動明王があり、高さ約8メートル。

向かって右に大日如来があり、高さ約6.7メートル。

平安時代後期の作と言われていますが、いずれも推定です。




左方向




天満宮は菅原道真より後の時代の創建ということになっていますが、

数多の天満宮を調べてみますと、もともとあった神社の祭神を替えて

天満宮になったものがほとんどです。年代の新しい祭神を祀ることによって

隠ぺいされているようです。それだけ深い意味を持つ神社であるということになりましょう。

いつかここにも参詣してみたいものだと思っています。




社殿に向かって左手方位線、宗像市大島を指します。





やがて対馬に到達します。対馬空港の所です。


天仲寺古墳(内部リンク)

八幡古表神社の対岸にある闇無濱神社も一緒に考察ください。



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