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流れエビス堂・方位図
流れエビス堂位置
N 33度57分47.9秒
E 132度03分34.7秒
位置精度 +- 3m
(堂宇前約5m地点にて計測)
拝礼方位 342度
以下の図中
オレンジマーカーを打っている地点は神社
グリーンマーカーを打っている地点は寺院
赤ラインの交点に流れエビス堂があります。
図中にある社寺や遺跡の内部リンクです。
リンクしていない所は古いフィルム写真しか無いので、
新しい写真を再撮影するよう努力します。
数合稲荷 天王原古墳・納蔵原古墳 誓立寺 大波野天神・女体社 正讃寺 佐田八幡宮
稗田の阿禮(ひえだのあれ)という人物は古事記の編纂に協力した人です。
方位線に沿って神社が在ります。
この周辺はタングステン鉱山の密集地です。
また、銅や錫の鉱山など、古い露天掘りの跡も見つかっています。
根笠・岩屋観音 (私の日記ブログの車のページに載せています)
広瀬は日本書紀の「広瀬龍田の神」に登場する所です。
広瀬の大きな神社としては広瀬八幡宮があります。
六日市(むいかいち)七日市(なのかいち)です。
左側の赤鉛筆の線は別です。お間違えありませんよう。
柿木村(かきのきむら)という所です。
オレンジマーカーを打っている所は神社です。
方位線に沿ってほぼ正確に神社があります。
左側の赤鉛筆線は別の神社です。
日原天文台がある周辺です。
ここも方位線に沿って神社があります。
ここまで並行して来た赤鉛筆線が高津川の砂州で交差しています。
日本海側に出ました。石見空港の所、市原町です。
石見空港には方位線が何本か来ています。
以上、拝礼方向でした。
流れエビス堂、こんどは堂宇の前面方位線を見てみます。
赤ラインの十字で交差している所が流れエビス堂のある地点です。
以下のリンクはすべてこの海風想の内部リンクです。
A 蓮台寺山(極楽寺) B 荒木神社 C 智願寺 竪ヶ浜・大歳神社 D 金刀比羅社 E 玖珂嶋神社 F 直指院 G 教蓮寺 H 曽根八幡宮 I 龍護寺
上関町です。
古いフィルム写真しか無いので、再撮影するべく努力します。
A 上関天神 B 超専寺 C 阿弥陀寺
上関町八島です。
以上、前面方向でした。
流れエビス堂、こんどは堂宇に向かって右手方向を見ます。
矢印の所は方位線の密集地です。
そこには信比古(さねひこ)の石碑というのがありまして、石碑自体は新しい物ですが、
そこには「からと水道」に浮かぶ幻の海上大寺が在ったはずです。
A 正行寺 B 諏訪神社 この二社寺は隣りどうしです。
丸印の所は舟木という所です。
神武天皇の舟の木を伐り出したという由来があります。
後で重要な証明地点となります(後述)。
広島県呉市の大崎下島です。
矢印の所、方位線に沿って社寺が在ります。
矢印の所、いずれの島々にも方位線に沿って社寺が在ります。
神武東征の亀に乗った釣り人の場面です。
小豆島をよく見ますと、亀の形になっています。
糸をひいたので影が写っています。赤ラインです。
名古屋から先は次回に掲載します。
流れエビス堂、こんどは堂宇に向かって左手方位線です。
画面右側の赤ラインが交差した所に流れエビス堂が在ります。
丸印の所は地名を「上ゲ(あげ)」と申しまして、大昔には「からと水道」の波打ち際だった所です。
波野スフィンクス(波野行者山)の南側ふもとになります。また、小山(万葉・香山)の南側ふもとにもなります。
そこはピラミッドテキストの描く「ホルエンアケト」や「ホルアクティ」として考えられ、
なぜ「ホル」が付いているのかは、日本語の「掘る」が割り当てられます。
少し饒舌になりますが日本語で書くと、「掘る縁上げぇと」となり、また「掘る飽くてぃ」です。
何を掘ると言っているのかは、船です。古代の双胴船が埋まっているようです。
双胴船という根拠は、石城山縁起伝書に「龍頭鷁首」(りゅうとうげきす)という言葉が
出て来ます。前章でも説明しましたが、ここで、もう一度説明しておきます。
大修館書店の新漢和辞典によると、龍頭鷁首とは、天子の乗る船を意味し、
その船首には龍と、鷁(げき)という大鳥が彫刻してある。一説に、龍と鷁とで
一対をなしている、とあります。すなわち双胴船を意味しています。
昭和57年(1982)上ゲの現地で住居建築のための井戸掘りが行われました。
地下約15から20メートル付近だったと聞きました。本来なら泥砂しか上がらない
はずの所で、大量の木屑が上がりました。鉄釘も上がったと聞きましたが、私が
確認したのは木屑だけです。赤茶色(錆び色)をした木屑で、水分のある内は強度が
ありましたが、何日か経って乾燥すると、乾いたパン屑のごとくボロボロになって
粉末化してしまいました。担当した井戸掘り職人の話では地下に船が沈んでいる。
倒木などではなく船に間違いないということでした。船と決めた背景には釘(船釘)が
あったようです。また船以外の考え方として、船を泊める雁木(がんぎ)とも考えられますが、
深さを見てください。地下約20メートルという深さは通常の発掘調査で掘られる深さ
ではありません。また別の視点から根拠を調べますと、古事記と万葉集に記載があります。
よくわかるのは万葉集の方で、巻第三の258番歌に「をしとたかべと船の上に住む」
という一節があるのですが、今までの解釈ですと、廃船の上に鳥が住んでいる、という
解釈になっています。勿論わからなくて当然なのですが、そこを再解読しますと、
船を埋納した地点に、かっての侍従(じじゅう)たちが住んで守っている、という意味に
なります。そこの小字地名を大村といい、また近接して、かっての海の名残り
である東浦ともいいます。現状で、船の埋納地点には家屋が建っていますが、
地主さんは発掘調査をするなら協力は惜しまないとのことです。
井戸のパイプから細くて長いカメラを降ろしてみるのがいちばん手っ取り早いと思います。
もし船なら、木屑から判断して、乾燥させたらボロボロになりそうなので、上げずに地下で
水族館方式で保存展示するといいのではないかと思います。
糸ひきで糸の影が写りましたが赤ラインです。
以上、堂宇に向かって左手方向でした。
以上の方位線で最も大事な所は以下の地点です。
Aの舟木は前述しましたように船の木を伐り出したという由来を持っています。
その舟木と、双胴船の埋納地点Bとが、「うねる水の道の曲がり角」に在る
流れエビス堂の左右方位線によって結ばれています。
A 舟木の内部リンク B 万葉歌の内部リンク
なお、埋納地点 B を指している社寺は複数あります。
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