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 相の浦賀茂神社

 室津から相ノ浦(あいのうら)までの道順は、池の浦トンネルが開通していますので、

海岸回りで行くことができます。ただ、部分的にまだ狭い所も残っているのが実状です。

池の浦経由の道は、上関大橋の約百メートルくらい手前から右へ入ってください。

よく灯台の所の道を間違えて入る方もおられると聞きます、灯台を過ぎて右折です。

 池の浦経由の海岸回りで相ノ浦に行くか、それとも尾国まで引き返して山手に入り、

峠を越えて右折して相ノ浦方面に行くか、二通りの選択があります。





目指す賀茂神社は、相の浦小学校(廃校)の校舎の隣りから入って行きます。

車の駐車場は無いですから、道路横にでもとめるしかないです。通行量はきわめて少ないです。

私は参道にとめています。正月などの祝祭日は小学校のグラウンドを開放するといいですね。









相の浦の前面には周防大島が広がっています。

太陽の昇って来る方向であり、横見や戸田などがよく遠望できます。

横見も戸田も、アマテラスを主祭神とする神社があります。





相の浦海岸。






遺跡と言えそうな石段です。・・・石段というよりも、石の梯子と言ったほうがイメージに合います。

その傾斜角は40度(下の写真)。私が初めてここに参詣した時は、正直すこし怖さを感じたほどです。

 お年寄りや足の不自由な方は、この鳥居の所を左方向に入ると緩やかな坂道で上がれます。

石段に関して近隣を見渡してみますと、玖珂町の鮎原剣神社の石段もすごい梯子状の石段です。








 石段の中腹から前面方向を望む。

岬は津海木(つのうぎ)の法師崎です。








ここに図を入れる






拝礼殿






 神殿








相の浦賀茂大明神 宝殿不出



私が書写した物ですが、原文字に忠実に写しました。

宝殿から出さない、とあることを見ましても、重要な記述だろうと思われます。

素人の私が解読してみましたところ、次のようになりました。

「オンテンヤクコンヒャク オンレイホウオウ シジャク タマトウミョウドウ コンキ ダイトク ヤニン カガ」

この読み方で合っているかどうかはわかりませんが、古事記にこんな歌があります。

(私の解読) 哥賀並べて 余庭ここのよ 日には遠かを

哥賀とは、上述した文ではないかと思います。そうすると、歌の意味は。

『 印札の文字を並べて 私の庭はここです 伊勢には遠いけれど 』 と、なります。


祭神 (防長風土注進案記載)

カムヤマトイワレヒコノミコト

タケツノミノミコト

神武天皇

ニニギノミコト

タマヨリヒメノミコト

ワケイカヅチノカミ

(その他、阿弥陀仏・立像と座像の二体)









 相ノ浦賀茂神社、社殿の前面方向を望む

 参道石段とはだいぶねじってあります。前面にうっすらと見える島は荷内島です。




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相の浦賀茂神社の方位分析


N 33度52分08.9

E 132度08分41.2

位置精度 +- 4m

拝礼方位 307度












拝礼方位線




A 八尋石八幡宮  山口県熊毛郡田布施町上田布施

B 呉麓山 西側から見ると、熊の背中辺り  東側から見ると、犬の鼻先辺り

C 三井賀茂神社  山口県光市三井

三井は万葉歌にも詠まれており、鳴きながら飛んで行くとは、この方位線を意味している可能性があります。

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花岡八幡宮は、西のラーを見る所でもあります。

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徳地町伊賀地を通過。






山口県長門市の仙崎湾です。




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前面方位線




下荷内島(しもにないじま)は鴨の頭の形をしています。

右手に並んでいる上荷内島(かみにないじま)は鴨の背中をしています。

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四国では特に目立った遺跡にあたりません。これから発見があるかもしれません。

方位線から約 5キロの所、高知県窪川に岩本寺があります(緑マークの所)。




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社殿に向かって右手方位線





A 西三蒲・玉垂神社

B 東三蒲・神取神社・並びに徳正寺

C 椋野・椋野神社

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A 前島神社

Bは前の図の椋野神社です。

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広島県沖美町・大黒神島 ⇒ 能美島 ⇒ 江田島 ⇒ 広島市天応 ⇒ 広島県熊野町初神 と進んでいます。

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広島県庄原市には方位線から約 5キロ離れて蘇羅比古神社(一宮)があります(緑マークの所)。

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鳥取県では方位線付近に多くの寺院がありますが、どれも数キロ離れています。

緑マークの所は道後山(1271)の頂上を通っています。




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社殿に向かって左手方位線





方位線は、上関町でオレンジ色のマーカー・竃八幡宮を指しています。

竈八幡宮は、神武東征の竈山の段で登場しています。

なお、緑色のマーカーは超専寺です。

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九州では、大分市に上陸します。

方位線上で、特に目立った遺跡などは無いのですが、私の調べ不足かもしれません。




方位線は、大分市と、いちき串木野市を結んだ線になります。

その間を順にたどってみますと、大分市⇒竹田市⇒八代市⇒人吉市⇒伊佐市⇒いちき串木野市 となります。

私が調べたかぎり、方位線上には特に目立ったものは見あたらなかったです。気付かないだけかもしれません。


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分析結果

拝礼方位線で光市三井を指し、左手方位線で上関の竈八幡宮を指しています。

光市三井は万葉歌にも詠まれており、この方位線を意識して詠んでいる可能性が

あることは先述したとおりです。上関の竈八幡宮は神武東征の竈山の段でありますから、

この相の浦賀茂神社も神武東征による犠牲者を追悼して創建されていることの証です。


また、余談になりますが、相の浦賀茂神社は推古天皇を意味しており、それはタマヨリヒメが

祭神にいることからもわかるのですが、「あいのうら」の「あい」とは「目( eye )」をも意味しており、

目は阿多田古墳に相当します(下の写真)。阿多田古墳は推古天皇の最初の陵墓

であることは別ページで説明しました。






それ以外に、この神社の拝礼方位線上に呉麓山があります。呉麓山は岩戸を

意味しており、岩戸は日の入りを司りますから西にあります。西は仏教で申しますと西方極楽浄土

です。仏教の聖地インドであり、美和(三輪)の大物主の神です。三輪から川を流れ下ってたどり着く

所(河口)は麻里府であり、そこには阿多田古墳があります。つまり、大物主の神が川を流れ下って

結婚したのは推古天皇であるということです。だから、相の浦賀茂神社は呉麓山を指しているのです。




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