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八尋石八幡宮
やひろいし はちまんぐう
山口県熊毛郡田布施町上田布施

北緯 33度56分55.8秒
東経 132度01分06.2秒
精度 +− 4m

参詣・撮影 2012年8月













一の鳥居です。




丘を縦走している参道は想像以上に長いです。




二の鳥居です。




十数年前には、ここから主要な山々が見渡せていたのですが、
今は木々が成長してご覧の通りです。

























本殿の神殿です。




本殿に向かって右側には多賀神社があります。






本殿の神殿です。




本殿に向かって左側堂宇の表札が無いため、
尋ねて確認したところ荒神社ということでした。

この八尋石八幡宮を防長風土注進案では次のように記しています。要点だけ引用してみます。

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馬場
八尋石八幡宮
鎮座 貞観元年宇佐より勧請
祭神 神功皇后 応神天皇 仲哀天皇

天照皇太神 春日大明神
左右に玉殿二つ裏に神名書付有り之

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重要なところは以上です。
防長寺社由来には記載無しですが、あの記録は本来が少数記載な記録です。
山口県風土誌では田心姫・市杵島姫・多岐都姫の三神が記載してあります。
その三女神たちは春日大神を意味していますから問題はありません。
そうすると、防長風土注進案にある一番重要な神であるアマテラスが見えません。
なぜ重要な祭神を消されてしまったのか、その辺は不明ですが、防長風土注進案が
編纂されたのが天保時代(1830〜1844)のことです。

そこで私はアマテラスが今もなお居るかどうか調べてみることにしました。
調べると言っても書籍ではなく、自然現象の調査です。
アマテラスは太陽神ですから、本当にアマテラスが祀ってあったのなら
太陽を調べればすぐにわかります。

下の写真2枚は平成十一年頃に撮影した八尋石八幡宮から見た日の出です。
今はもう木が成長して茂って確認は困難です。我ながら良い時期に調査したと思います。
ご覧のように日の出(太陽)は八尋の丘の前面を一年中、右に左にと顔を出しています。
これこそ祭神アマテラスの意味です。アマテラスはちゃんと居ます。


(フィルム写真・平成十一年頃撮影)

そうすると、諸々の移転の記事は何なのか、ということになるわけですが、
由来記録には神功皇后とあります。神功皇后は八幡三神の内の一神です。
だんだん見えてきました。八尋石八幡宮の原点となる神社は古来よりここであり、
本来はアマテラスと春日三女神を主祭神として祀ってあった。
諸々の移転記録は八幡宮の移転して来たことを意味しています。つまり合祀です。
八幡宮が移転して来て、原点の神社と合わさり、やがては八幡宮の方が主体になったというわけです。

この八尋の丘からは初代ヤマトの主要な山々がすべて見渡せます。雄大です。
この写真を写した頃はまだよく見渡せていたのですが、今は少し残念です。


(フィルム写真・平成十一年頃撮影)

ここの日の出と日の入り時期は不思議な点がありまして、
正面からの日の出が雛祭りの頃です。そして、社殿背面に日が沈むのが子供の日の頃です。
何が不思議かと申しますと、雛祭りと子供の日の設定はこの神社を参考にして
決定してあるのではないかということです。

さて、アマテラスが祭神から消えてしまった原因は不明ですが、
明治大正昭和の時代が絡んでいるのではないかと思っています。


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