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石押分の子
〜〜即ち、その山に入りし。また尾ある人に遇う。この人、巖を押し分けて出来たる。ここに「汝は誰や」と問う。
「我は国つ神、名を石押分の子と謂う。今、天神の御子ゆき行くと聞く、故、参い向かえじ」と答えいわく。(こは吉野國巣之祖)
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物語の進行順はともかくとして、古事記の記述は侵略の記録でありながら、王の陵墓をも記しています。
物語に登場する石押分の子の陵墓を追究していきますと、現在の光市岩田にある岩戸八幡宮へ行き着きます。
岩戸八幡宮の境内を真上から見た形で図にしますと、果実をくわえた鳥の地上絵が浮かび上がります。
最初から地上絵として意識して造成されたことは、溝呂井(みぞろい)という地名が残っていることからも明確です。
その溝呂井という地名は、天保時代編纂の記録にも記載してありますので、古来より続いて来た地名です。
では、石押分の子の陵墓は、と申しますと、現在は神社に姿を変えています。岩戸八幡宮の社地です。
石押分の子の陵墓跡の研究
写真・呉麓山・岩戸八幡宮・冠念寺
岩戸八幡宮の方位を分析
以上、内部リンクです。
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