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イザナギイザナミ・第5部
千引の石
千引の石に関しては阿曾山大権現のページでも説明しましたが、さらに追究してみます。
書けば簡単なことですが、これに気付くまでには十年以上もの歳月がかかっています。
そのことを前置きした上で、まず、物語を挙げてみます。
黄泉の国を見てしまったイザナギは、ヨモツシコメに追われます。
黒御鬘(くろみかづら)を取って投げると、蒲子(ガマの実)が生えます。
敵がそれを食べている間に逃げますが、ふたたび追って来ます。
こんどは、御角髮(みかづら)に挿している湯津津間櫛(ゆつつまぐし)を投げつけると、
笋(たけのこ)が生えてきます。敵がそれを食べている間に逃げて行きます。
物語は、数々の応戦がくり返されて、ついに千五百の黄泉軍が追って来ます。
イザナギは剣を後ろ手に振りながら逃げて行きますが、なおも追って来ます。
やがて黄泉比良坂の坂本に至り、そこにある桃子三つを持って応戦すると、
ようやく追っ手は去って行きます。イザナギは桃子に語りかけます。
「汝、吾を助けしが如く、葦原の中つ国にあらゆる現しき青人草の、苦しき瀬に落ちて患ひなやむ時、助くべし。」
黄泉軍は桃子三つで悉く逃げていきました。そして、とうとう最後にはイザナミ自らが追って来ます。
イザナギは黄泉の国との結界として石を置いて、道を塞ぎます。
「ここに千引の石(ちびきのいは)をその黄泉比良坂に引き塞へて、
その石(いは)を中に置きて、各々向かい立ちて事戸(ことど)を渡す時〜〜〜。」
最初から説明します。
「黒御鬘(くろみかづら)」に「御角髪(みかづら)」、これは頭の髪のことですが、その色は「黒」です。
語りは黒色が中心になって進行しています。そして、やがて黄泉比良坂の坂本に到ります。
坂本という名は他の章でも一回出てきますが、ここでの坂本は名前ではなく、坂の元(ふもと)という意味です。
「汝、吾を助けしが如く、葦原の中つ国にあらゆる現しき青人草の苦しき瀬に落ちて患ひなやむ時、助くべし。」
この言葉のなかにある色は「青」です。 黒と青が大事な意味を以っています。
そうして「千引の石」をよーく考えますと、「せんひきーの、いーわ」です。線引きをしなさいと言っています。
それならどう線を引けばいいのだろうと、よく見ますと色が大事なようです。先ほどの黒と青です。
室津半島で黒と青に関する地名を探しますと、半島の東側にはたくさんありますが、
西側には「黒羽根」という所が一ヶ所だけあります。
東側にはたくさんあって西側には一つだけ、というのもおかしいなと考えていますと、
要点は黒羽根を中心にして放射状に線を出せばいいことがわかりました (下図)。
この地名は現在も残存しており、いまもこう呼ばれています。
国土地理院の地形図にも載せてある地名です。
では、この線は何を語っているのかと申しますと、
イザナギイザナミ神話に出て来る主な所を指しています。
以下、順に追っていきます。
半島西側の黒羽根と、半島突端の黒崎鼻を結んだ線です。
皇座山の常香盤を指し示しています。
常香盤は太古の自然葬の遺跡です。
神話の起点としてふさわしい場所です。
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西側の黒羽根と、東側の黒崎を結んだ線です。
尾国 (おくに) と、小郡 (おぐに) は、古記録に「負い来る荷」が転じた地名であると記してあります。
「負い来る荷」とは、イザナギがヨモツシコメに追われて逃げていく「追い来るに」でありましょう。
室津半島には昭和の初め頃まで半島の尾根を縦走する道があったと古老は伝えています。
それらしき道は残存していたのですが、今はもう、藪になってわかりません。
現在の室津半島スカイラインが、かっての道の名残りを伝えているようです。
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西側の黒羽根と、東側の青木を結んだ線です。
この線の示す所は、鳩ヶ峰です。
鳩ヶ峰を尾国から見ますと、女性の乳房の形です。
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黒羽根と、東側の黒島 (くろしま) を結んだ線です。 大見山を指しています。
大見山は、鳩ヶ峰と並んでいまして、大見山と鳩ヶ峰の中間に千引の石があります。
巨石がある訳ではなく、太古に阿曾山大権現 (通称) という神社がありました。
その幻の神社があった地点を指し示しているのが、ふもとの曽根八幡宮です。
つまり、大見山と鳩ヶ峰は、イザナギイザナミが向かい合って、ことどを言い合っている場面です。
そして、千引の石の正体は、神社であり、通称の阿曾山大権現です。
幻の神社は場所を移転して、平生町大野の箕山の中腹に阿曾社として残存しています。
阿曾社の祭神は、天保時代の防長風土注進案にもイザナギイザナミと記してあります。
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黒羽根と、黒島 (くろしま) を結んだ線です。
この線上にほぼ同じぐらいの位置で昔からの道が残存しています。
黒島の海浜でイザナギは海に入って体のけがれを洗います。
原典文字は次のように記してあります。
竺紫日向之橘小門之阿波岐原
竺紫の文字が問題です、後述します。
日向は、日向平 (ひなたびら) と解釈できます。
日向平という所は大星山と杵崎山の中間辺りにあります。
橘は、周防大島を意味しており、橘の豊日命です。
それは万葉歌からも導き出せます。
小門というのは対岸が目前に迫った海峡のことです。
また逆に大門と言えば瀬戸内海のような、対岸まで距離のある海を言います。
ここでは小門ですから、対岸に周防大島が迫る大畠瀬戸と解釈できます。
こうしてみますと、問題点は竺紫だけです。
そのことに関して、笠佐島をかっては笠を奉るという意味において、
笠奉島とも書いていた記述があります。
笠奉と、竺紫、実によく似た文字です。
以上のことを見て、今のサザンセト伊保庄マリンパーク (黒島) こそ
イザナギが禊をした神話の海浜だと思います。
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大星山から見る大見山 (左アンテナ) と、鳩ヶ峰 (右の白いアンテナ)。
イザナギイザナミが向かい合っている姿であり、真ん中に「千引きの石」があります。
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千引きの石がある地点。 この辺りに阿曾社の前身となる幻の神社がありました。
なにぶんにも山の上なので、世話をする人もなく、廃屋同然になっていたのでしょう。
やがて中世の頃か、今の大野に移され、阿曾社として今もなお残存しています。
写真は二十年ぐらい前に撮影したものです。今は木々が成長して変化しています。
千引きの石の「石」という表現は、万葉集や古典などでも見られ、
状況によっては方位線を意味します。また、松と言えば神域を意味します。
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