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 イザナギイザナミ・第6部


みそぎの海


前章でも書いて重複しますが、もう一度載せておきます。


黒島の海浜でイザナギは海に入って体のけがれを洗います。

原典文字は次のように記してあります。


竺紫日向之橘小門之阿波岐原


竺紫の文字が問題です、後述します。


日向は、日向平 (ひなたびら) と解釈できます。

日向平という所は大星山と杵崎山の中間辺りにあります。




左の赤丸が日向平。 右の赤丸が黒島。 

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下図は日向平を拡大した図。




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橘は、周防大島を意味しており、橘の豊日命です。

それは万葉歌からも導き出せます。


小門というのは対岸が目前に迫った海峡のことです。

また逆に大門と言えば瀬戸内海のような、対岸まで距離のある海を言います。

ここでは小門ですから、対岸に周防大島が迫る大畠瀬戸と解釈できます。






こうしてみますと、問題点は竺紫だけです。

そのことに関して、

笠佐島をかっては笠を奉るという意味において、

笠奉島とも書いていた記述があります。

笠奉と、竺紫、実によく似た文字です。


以上のことを見て、イザナギが禊をした海浜は、

今のサザンセト伊保庄マリンパーク (黒島) であると主張するものです。




番号順に。

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黒島 (くろしま) の今は陸続きになっていますが、昔には島でした。

防長風土注進案には天保時代より以前の記録も記してあります。

記録の書き方が順になっていないので、注意して読まないと気付きません。

以下、順に並べ替えて、部分的に口語訳にして引用してみます。


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黒島瀬   上八 (こうじょう) に在り  (距離は鯨尺計算の場合)

黒島渚満口より四拾七間 ( 106.7m )、回り拾八間 ( 40.9m )、大汐干落高さ三尺 ( 1.14m )、

大汐満上り瀬より上八尺 ( 3m ) にて、大汐には船通り相成り候事。


一同

同断より瀬の間、貮拾八間 ( 64m )、汐干落の高さ五尺五寸 ( 2.09m )、

廻り拾五間 ( 34.1m )、大汐満上り瀬より上五尺五寸 ( 2.09m )にて、

大汐にても船の往来相成らず候事。


一同

同断より瀬の間、貮拾壹間 ( 47.7m )、汐干落の高さ九尺 ( 3.41m )、

廻り四拾八間 ( 109m )、大汐にても船の往来相成らず候事。



そして天保時代の記述。

黒島  人家無之  在上八

高さ直立三間餘、周廻拾貮丁にて往古は陸の間、汐の往来在之由、

今は地続きにて松樹鬱葱たる絶頂に権現社鎮座御坐候事。


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以上、はてな?と思える誤記らしい部分もありますが、古記録の通りです。











今の解読書とは少し異なりますが、イザナギが禊をする場面の原文は次のように記してあります。


『 於是詔之 瀬速下瀬者弱 而於中瀬墮迦豆伎而・・・』


瀬を万葉歌の「我が勢 (わがせ)」の勢と解釈して読むと、とても面白いです。

それはさて置き、上地図の地名の頭文字に物語が入れてあるようです。

地名は言葉の化石とも申します。古い地名です。


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では、黒島を写真で見ていきましょう。






黒島への道順ですが、今は新道路ができたので、旧道路へ入ってください。

旧道路は海側の道です。 新道路を進むと通り過ぎてしまうおそれがあります。


ここの駐車場は広いですから、シーズンオフなら観光バスでも大丈夫です。


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海浜へは車止めの柵がありますので、歩いて入ってください。

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こんな感じの海浜公園になっています。

歴史的には、画面右側の茂みが大事です。

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この花壇程度の小さな茂みの中に石祠が複数あります。

これこそイザナギがみそぎをしたことを伝えている祠群です。

下の写真は、この茂みの中に入って撮影しています。






 上写真、茂みのなかにある石祠。2006年撮影。

 大岩の上に東を拝礼する形で祀ってあります。

下の写真が 2017年現在の最新状況です。

相当に茂って、まるで籔の中に埋もれている感じになっています。





余談ですが・・・

ハゼの木があります。カブレますから気をつけてください。

海水浴場ですから小さいうちに伐っておいたほうがいいと思います。


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上写真、2006年この石祠は茂みの外に在ったと思うのですが、

下写真、2017年の今は茂みの中に移されたようです。




向こうの四角い石の台の所に在ったと記憶しています。

エビス神を祀った祠です。前述した 『 我が勢 』 です。


明治の年号が彫ってあり、近年に祀られたと錯覚しますが、再築です。

古い石祠を新しくして再築した年号を入れたのです。


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黒島神社
くろしま じんじゃ




海浜公園に隣接して丘があります。その丘が黒島です。

丘の西側 (上画面左方向) に黒島神社があります。

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丘の西側の路地を歩いて行きますと鳥居があります。

黒島神社の入り口です。

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社殿は丘の八合目あたりに在り、石段を昇って行きます。

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天保時代の防長風土注進案の記述

黒島  人家無之  在上八

高さ直立三間餘、周廻拾貮丁にて往古は陸の間、汐の往来在之由、

今は地続きにて松樹鬱葱たる絶頂に権現社鎮座御坐候事。


この記述の 『絶頂』 には随分考えさせられました。

というのも、今の社殿は丘の八合目あたりに在るからです。

この丘の頂上は広場になっており、招魂碑が建っています。

もしや、今の招魂場の所に在ったのではないかと疑ったりもしました。

その疑惑は、この神社の方位を分析してみることによって晴れました。

神代の昔からここに祀られています。分析結果は別ページに載せました。






「くろしま」という名の通りに社殿は黒塗りです。














方位分析結果は、こちらのページです。











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