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吉備津彦神社

所在地 岡山県岡山市北区一宮

N 34度40分37.0
E 133度51分50.8
位置精度 +- 4m
境内にて計測


参詣の道案内として、私は吉備中山のふもとを廻りましたが、道が狭いうえに

通行時間指定があったと思います。国道180号線からなら標識もありますので、

180号から入ることをおすすめします。なお、駐車場は広いですから心配無しです。



現地写真撮影 2015-4/22



正面鳥居。車の駐車場は、ここを右折するとすぐに左側へ入り口があります。


上写真に見えている背後の山は「吉備中山」と呼ばれています。

この山の向こう側に吉備津神社がありますが、そこにも同じ名で「吉備中山」があります。

吉備の古代史はすべて二つで成り立っていて、双方向を意味しています。

双方向は神武東征の吉備の段に関連しています。

また、仁徳天皇の船「加良怒(からと)」双胴船の意味も。


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参道の両側が池になっており、その中を参道が通っています。

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亀島神社の所から随神門を見た写真です。

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駐車場の脇にあります。

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境内にある子安神社です。写真右側に見えているのは天満宮。

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子安神社に参詣してみました。安産・育児の神さまです。

男性が参詣する時には、子どもの平安をお願いします。

吉備津彦神社の本殿よりも高い所にあります。

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子安神社に並んで七つの末社があります。

祭神は、手前の祠は倭比賣命(ヤマトヒメノミコト)その他です。

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吉備津彦神社本殿










まるで龍が舞っているかのような注連縄。

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「いっぽんいちのみや」と読みます。

一品(いっぽん)とは、一宮(いちのみや)に於いても取り分け品格が高い神社、という意味です。

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左側から、拝礼殿-祭文殿-渡殿-神殿(本殿)と並んでいます。

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2015年4月の写真です、あいにく神殿の保存修理中でした。

完成したらまた参詣しようと思います。

保存修復費用寄附のお願い看板がありました。

一口二千円よりとのことです。 п@086-284-0031

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方位分析

吉備津彦神社・位置
N 34度40分37.0
E 133度51分50.8
位置精度 +- 4m

拝礼方位 245度



拝礼方向



鉛筆で指している所に尾道市の縄文・大田貝塚があります。

大田貝塚では七十体を超す人骨が発見されています。


画面上の方、オレンジマーカーの部分は府中市の吉備津神社です。

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岩国市由宇の所、万葉歌で載せた桂森天満宮を通っています。

鉛筆で指している所、波野行者山(波野スフィンクス)頂上です。

波野スフィンクスの東側ふもとには天王原古墳や納蔵原古墳があります。

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築上郡の吉富町にある八幡古表神社を指しています。

そこは神武東征(通称)の豊国の宇沙の場面になります。

九州侵攻の侵入地点でもあります。

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鉛筆で指している所、オレンジマーカーの所に吉野ケ里遺跡があります。

吉野ケ里には帯隈山神籠石があり、神武侵攻地点の1つであったと考えられます。

吉野ケ里は神武侵攻によって滅ぼされたのです。方位線はそこを追悼しています。

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方位線はやがて五島市の富江へ到ります。沖に黒島があります。

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社殿の前面方向






前面方位線は日本列島を縦断して福島県いわき市へ到達

いわき市には多くの縄文・弥生時代の遺跡があり、特筆は、弥生時代の水田が出土した番匠地遺跡です。

そのほか、いわきの八幡横穴群は、九州地方の横穴群と共通性を持っており、原始信仰の跡がうかがえます。

また、「大國魂神社」の近くには甲塚古墳があります。



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拝礼方向に向かって右手方向



鳥取県西伯郡の「天の真名井」を指しています。

方位線の両側に縄文・上福万遺跡と、弥生・妻木晩田遺跡などがあります。


井戸に関して、拝礼方向に在る波野スフィンクスの前脚付近には古い井戸がありまして、

古事記の火遠理命の段「海神の宮訪問」に登場する井戸であろうと確信しています。

よって拝礼方位線には海神の宮の井戸が含まれ、右方位線は天の真名井を指して、

共通性を持たせてあることになります。

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拝礼方向に向かって左手方向



方位線は児島湾を通ります。

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香川県高松市。

鉛筆で指している所に石清尾山古墳群があります。

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方位線から約10キロ離れた所の海部川河口付近に大里古墳があります。

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分析結果としまして、

拝礼方位に初代ヤマトの波野スフィンクスがあることにより、古事記の諸々の記述を克明に伝えている神社です。


古事記の記述は別ページでも説明しましたように、年代順に編纂されてはいません。その書式を紀伝体といいます。

要するに物語として書きやすいように書かれています。対する日本書紀は推古天皇までは古事記と同じ紀伝体ですが、

推古天皇以後は年代順の編年体の書式になっています。つまり、ここで言いたいのは、仁徳天皇と神武天皇はほぼ

同時代の人物であり、どちらの人物も初代陵墓は波野スフィンクスに埋葬されていた、ということを言いたいのです。

そして、そこを拝礼して指し示している吉備津彦神社はその時代に創建された由緒深い神社である、ということになります。





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