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 侵攻の記録 足あとの神社群    

 第15番 河内神社  周南市大字高瀬      
 参詣・撮影年月日 2011年9月7日   



 河内神社 一の鳥居   
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 防長風土注進案より抜粋
 高瀬村
 当村往古よりの名にて、その起源は川筋岩石多く瀬音高きゆへ村名とせしならんか。   




 最初の鳥居をくぐると、参道は畑のなかを一直線に昇って行きます。




 二番目の鳥居。   







 左側の建物は社務所です。 
 境内をここまで綺麗に維持するのは並大抵の苦労ではないと思います。




 防長風土注進案より  
 河内大明神
 祭神 天児屋根命  
 祭事の次第 枝豆の神供、里芋の吸い物を献じ候事。
 社の由緒は不詳、往古は毎年三間四方の仮殿を造り、中央に根越の松の柱を立て、
 幣鏡松の神楽と申す事あり、今は絶えたり。  









 北緯 34度10分28.5秒    
 東経 131度45分30.2秒   
 +− 13m    




 社殿拝礼方位 138度    

 拝礼方向 ⇒ 周南市譲羽 ⇒ 山陽本線・島田駅 ⇒ 光市岩田・呉麓山(293.8)頂上 ⇒ 田布施町尾津(麻里府) ⇒ 阿多田半島(阿多田古墳の北東側約数十mの地点) ⇒ 室津半島の突端 ⇒ 平郡島の櫛崎 ⇒ 鵜の碆(愛媛県磯崎の東側)    

 社殿前面方向 ⇒ 賀茂大明神(周南市巣山) ⇒ 萩市北側の大島    

 分析結果
 方位・138度は、かなり微妙な数値であり、状況によっては140度にもなりますし、135度にもなり得るわけです。
 礎石と柱の位置関係や建物左右の数値を見て138度に決定しました。
 こうした拝礼方位を重点に設定してある神社は相当古い社です。それを暗示しているかのように神花・阿多田古墳を拝礼しています。
 島田駅は神武遠征で登場しました。呉麓山は初代岩戸の山です。そうした事を見まして、この神社の創建は古墳時代にまでさかのぼります。




 境内から参道方向を見おろした写真です。
 前面には山があって遠望はできません。
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 参道から南西位の方向には高瀬の集落が見えます。
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 「明治四十三年十月  河内神社存置記念」 とあります。
 存置などという言葉自体あまり使いません。明治がわざわざ高価な石碑を建てた意味は何だったのでしょう。
 この場合ですと、「河内神社参詣記念」でなくてはなりません。存置などというあいまいな言葉は通常使いません。
 いずれにしましても、境内を整備した時の「文化八年」の石碑(下写真)などがありますから、明治は関係ありません。









 河内神社には必ず清流があります。








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