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西谷四隅突出型弥生墳丘墓群 

島根県出雲市大津町




現地へ行くには旧国道に入る必要があります。今はバイパス道路ができているようですので、
気をつけていないとバイパスの方に進んでしまいそうです。
旧国道9号線が斐伊川を渡る所に神立橋があります。そこを斐伊川沿いで上流方向に向かいます。
少し走ったら「出雲弥生の森」とある案内板に従えばたどり着けると思います。

車の駐車場は広いです。特別な日以外なら車をとめる心配はしなくて大丈夫です。




荒神谷遺跡が「西谷(さいだに)」という所にあり、よすみは「西谷(にしだに)」という名です。
こちらの西谷の名付けの由来を知りたくなりました。





西谷の丘に登る道は東西に2本ありまして、こちらは西側の道です。
ここを登っていく時点で期待感もあり、かなり興奮しました。^^。



では、654321と順々に見ていきましょう。

6号墓 



西谷の丘にある六つのよすみ墳丘は、並びの前後が小さい墳丘で、真ん中は巨大になっています。
そのことは大きさを計画的に築造している、とも考えられます。何かの遠近を表現しようとして
こうしてあるのではないかと、これは個人的な直感です。



西谷の丘ではこの6号墓がいちばん高い所にあります。
目測ではありますが、丘の上での各墳丘の高さは654321と順々に
低くなっていき、1号墓がいちばん低い位置になっています。

今は木が茂って景観は見えづらいのですが、もし木が無かったら、
この6号墳丘からは54321の墳丘がすべて見渡せます。
墳丘群は曲線を描いて並び、あたかも大空を飛翔していく熱気球を
上空から見ているような、それはそれは壮観な眺めだろうと思います。
「古代熱気球」のページをまだご覧になっていない方は先にそのページを見てください。こちらです。

この6号墓は墳丘のほとんどを失っており、写真のガードレール直下は
10メートルくらい下に道路が走っています。いささかの無常感を感じました。



5号墓 



この5号墓はまだ整備されていないので、これは墳丘なんだと示されて初めてわかる感じです。






4号墓 



5号墓の上から撮影した4号墓です。




4号墓の突出部です。








この4号墓は突出部を含めると約40メートルあるそうです。




3号墓 



この3号墓は突出部を含めると50メートルに及ぶ大型のよすみです。













島根県に来てからはあれこれと反論ばかりして申し訳ないと思っています。
しかし、ここで言わなきゃ何処で言う、という日本トップの遺跡ですから・・・。
申し訳ありません。

私はこの墳丘に立って随分長い時間考えました。第4主体と呼ばれる部分です。
柱穴の位置が棺を埋めてある位置と、かなりのズレがある点について疑問が多いからです。
目測で建ててもあんなにはズレません。それほど大きなズレがあります。



どちらかが早く存在していて、位置がよくわからなくなるくらいの年数を経過している可能性。
さらにそうした時間的(年数的)開きにより、位置は影響しない状態になっていたのかもしれません。

その内容として。
ひとつは、墳丘が完成した直後に柱が建てられ、埋葬する時には撤去されていた。
もうひとつは、埋葬して相当な年数を経た後に柱が建てられた。しかし、これは埋葬施設を
柱の埋め込みによって壊してしまう恐れがあるので、たぶんやらないと思います。

そうすると、気になる大きなズレは埋葬されるよりも前に柱が建てられていて、
埋葬される時には柱は撤去されていた、又は柱は朽ちて残存していなかった、
ということになります。 埋葬時点に柱が存在していなければ
柱穴の跡と棺の位置に大きなズレが起きても問題はありません。

ではなぜ埋葬前に柱を建てていたのか、という面に言及しますと、
荒神谷遺跡でも柱穴が検出されています。埋納前と埋納後の2度に渡っています。
その事実を当てはめますと、埋葬前の地鎮祭を大々的に執り行っている、とも考えられます。

また、墓以前に出雲のモニュメントとして存在していたのかもしれないなとも思うのです。
私としてはモニュメントのほうを力説したいです。まず最初にモニュメントとして存在していて、
墓として使われたのは何十年(それ以上?)も後のことかもしれません。
私は「よすみ」は熱気球のモニュメントだと思っているのですが、よすみが熱気球だとすると、
気球の下で火を焚いて熱気を入れてやる必要がありますが、その時に使われた柱かもしれません。

熱気球の熱源について少し。
下の写真、ラッパがいっぱい付いた円筒埴輪。
上塩冶築山古墳(出雲)出土



古代熱気球の熱源は天然ガスを使っていたと思われます。
日本で天然ガスを産出する所は千葉県ですが、そこで見たことです。
地下水をポンプで汲み上げ、それにライターの炎をかざしますと火がつくんです。
水(塩水)から気化した天然ガスが出ている訳ですが、それはそのまま使えることをも
意味しています。 つまり、ボンベもバーナーも無くとも熱気球に使えます。
上写真のラッパ型円筒埴輪は、そういう物をモチーフにして作られていると思わずにはおれません。


本題に戻りまして。

現状ではよすみの築造された年代設定は埋葬施設からの出土品に依っていると思います・・・。
これらのよすみは1度に築造されているはずです。だから大きさのバランスがいい。
よすみが築造された年代と、埋葬施設の掘られた年代とには年数的開きがあります。

では、よすみが造られたのはいつ頃なのかという点につきましては、オリオンの山跡
時を同じくしている、と答えておきます。だからオリオンの頭の上によすみが並んでいます。
なぜ頭の上なのかは、熱気球のモニュメント(型紙かも?)だからです。

以上私の推察です。 ぜひ皆さんも現地に立って考えてみてください。









2号墓 



2号墓はいつの時代にか瓦に使う土採りの犠牲になったらしく、
墳丘はごく一部しか残存していなかったそうです。
残存していた一部から墳丘の規模を割り出して盛り土をし、
このような本来の形に蘇えったという経緯です。





整備前に土の無かった部分は中に入れるように造ってありまして、
中は展示室になっています。自由に入れます。

では、入ってみます。



上図の下側のを見ますと、本来あのくらいしか残っていなかったんですね。




お疲れさまです。
発掘作業はたいへんな労力と忍耐力が必要です。
私ならたぶん3日と続かないかもしれません。^^。
この人たちのおかげでよすみが見れるのです。
ありがたや、ありがたや。




墓以前は熱気球を作る時の型紙(型石?)だったのかな?なんて考えたりして・・・本気です。^^。




1号墓 



1号墓は持って帰って我が家の庭に据えておきたくなるような。^^。
巨大な墳丘ばかりを見てきたので、すごく小さく感じました。
しかしそう感じるだけでもないようで、ほんとに小さな「よすみ」です。






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では、ふもとに下りて出雲弥生の森博物館に入ってみます。
博物館の建物の写真を写してなくて、すみません。
次に訪ねた時に撮影しておきます。



今回は行きませんでしたが、三谷神社が建っている境内が9号です。




最初に築造された「よすみ」を特定できればいいんですけれど、
前にも書きましたように埋葬施設からの出土品に依っているため、
どうしても出土品の年代設定になってしまいます。

その難問を解決するため、初代ヤマトから出ている方位線を見ることにしました。
西谷墳墓群を指している方位線を探してみれば何らかの答えがあるかもしれません。

分析当初は三輪神社だろうと思っていたのですが、ほんの少し離れています。
本来なら許容範囲に入る距離なんですが、同じくらいの距離を置いている神社が
多くありまして、どうしても正確に指している神社を探し出す必要が出てきました。

これまで私が収集してきたデータを総動員して分析してみました。その結果、
西谷墳墓群を正確に指している神社は山口県熊毛郡田布施町にある
浮島神社であることが判明しました。正確に墳墓群を指しています。
実に明解な神社名です。熱気球をリアルに表現しています。
これだけで一番最初に築造されたとするには早計過ぎるかもしれませんが、
ほかの神社が指している他所の四隅突出型は墳墓としての意味で指しています。
私としては熱気球のモニュメントとして存在していたであろう西谷墳墓群こそ
一番最初に築造された四隅突出型ではないかと思います。



西谷墳墓群と初代ヤマトとの接点




緑色マーカーの辺りに西谷墳墓群があります。
赤ラインが山口県熊毛郡田布施町川添にある浮島神社から出ている方位線です。




画面の竹やぶの向こう側、約百メートル付近に田布施川が左から右方向へ流れています。
田布施川は美和(三輪)の大物主の神が丹塗り矢に変身して流れ下って結婚した伝説の川です
そうした由緒深い川のほとりに建っている神社です。
ここの祭りは面白くて、今はもう廃れてしまいましたが、祭りの時に若い女性のお尻をつねる(触る)と
良いことがあるという祭りでした。伝説だけでなく、祭りも大物主の神を偲ぶものだったようです。





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