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日本・エジプト・直結大三角
私はまだエジプトには行ったことがありませんが、もし私が今エジプトを訪ねたと
しても、所詮は観光で終ってしまうでしょう。ああピラミッドは大きかったなぁ、と
その程度でしかないと思います。また逆に外国の研究家たちが日本の周防を訪れたとしても
同じ結果でしかなく、せいぜい大きな社寺や遺跡を数ヶ所廻るのが関の山でしょう。
私が前章で書いた森ピラミッドでさえ気付くまでに十年もの歳月を要しています。
長年その地に根をおろして研究しておられる現地に詳しい人の資料と、自分の地の
研究とを合わせるという作業をしてこそ、完成の域に到達できるものだと信じます。
私はエジプトには行ったことはありませんし、たぶんこれからも行けないと思います。
そうした意味で、私は諸々の研究資料本と私の研究とを合わせて考え、進めたいと思います。
特にグラハム・ハンコック氏とロバート・ボーバル氏の著になる「創生の守護神」や
「神々の指紋」などはおおいに参考になります。
さらには、それらの本は私が周防を明らかにする以前に書かれたものであり、
特にピラミッドテキストの解読など、周防に合わせて都合良く解読されたものではない、
ということを冒頭で明確にしておきたいと思います。
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エジプトには多くのピラミッドがありますが、その全部が王墓かというと少々疑問です。
そこで考えてみたいことは、ヒエログリフと呼ばれている絵文字で記された文章です。
最初から王墓として築かれたピラミッドにはその絵文字が壁などに記してあります。
ところが、ギザの三大ピラミッドにはそうしたヒエログリフの絵文字はありません。
そこが重要でもあるのですが、先ずヒエログリフから話を進めて行きます。
絵文字の解読は進んでおり、大部分が解読可能になっているそうです。
我々はそれらの解読を信用するしかありません。
今まで架空の地として天上の世界を現わしたものであろうとされてきた絵文字による物語。
それらの物語はピラミッドテキストと呼ばれ、読んでみますと、日本(周防)と繋がってくる
共通した部分が多く出てきます。その1つとして「ドゥアト」という地が登場します。
ピラミッドテキスト・創生の守護神(上・P-176)より引用
「ドゥアトは、あなたをオリオンの住む場所へと案内する・・・・・・・・・
・・・・・ドゥアトは、あなたの手を取り、オリオンの住む場所に案内する。」
ドゥアトの意味は多くの説がありますが、それらのなかでもハンコック氏の挙げている
「うねる水の道」との関係は実に明解で、その通りです。
ピラミッドテキスト・創生の守護神(上・P-180)より引用
「うねる水の道は洪水を起こし、ラーシュの原は水で溢れた。私は船で天空の東側に運ばれた。
その場所で神々が流儀を授けた・・・・・オリオンの妹はシリウス・・・・・水路を通って来た。
それは大氾濫の洪水の河岸であり、安心立命の場だ・・・・・それは水平線にある・・・・・
どうか「うねる水の道」へ持ち上げ、昇らせてください。不滅の星たち、神々の間に置いてください・・・・・。」
洪水とある部分が突出していて、これは天災でも起きたのだろうか、と先ず思います。
ところが、大氾濫の洪水の河岸に安心立命の場所があるわけです。
大氾濫の洪水の河岸とは、すなわち「からと水道」です。
からと水道跡の地図。田布施町郷土館(林芳明氏)編集発行のマップを撮影。
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からと水道跡は現在のJR山陽本線・柳井駅から田布施駅までの間だと思えばわかり易いと思います。
このホームページでいう波野スフィンクスは田布施駅の北側に在ります。
上の図で言うと、左側の駅の北側(上側)に巨大なライオンの彫像は位置しています。
つまり、水の道の曲がり角にライオンは位置しています。
そのライオンは水道のどこから見ても見ることができ、東側から見ても南側から見ても
同じ形をしている二面性を持っています。そして、いつも左方向へ向いています。
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からと水道を古記録では、こう記しています。
防長風土注進案・波野村より
波野といへる村名、その昔、東は大嶋鳴戸より南は麻里布の沖へ潮行き通ひ候時、
波の打ち寄せる野といふ心より波野と呼び習はせしと閭里に申し伝へ候。
からと水道でいちばん難所だった所を八幡の瀬戸と申しまして、
水道が直角にカーブしています。そこは民謡にもなっています。
「八幡難所じゃ からとの瀬戸よ 瀬戸をのがれて やれうれし」
今の八幡八幡宮のある辺りを言い、山陽本線の通っている所です。
その難所も今では住宅が建ち並び、水道跡だったとは想像し難い所になっています。
水道跡であるという証明は発掘調査やボーリング調査などで明確になっています。
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ピラミッドテキスト・創生の守護神(上・P-182)より引用
「不動のまま、おお、オシリス王=オリオンよ、空の下側で美しい星=シリウスとともに
「うねる水の道」の曲がり角に、いてください・・・・・「水の道」に行きなさい・・・・・オリオンが
あるドゥアトへの階段が用意されますように・・・・・おお王よ、あなたはこの偉大な星で
オリオンの仲間、オリオンとともに天空を旅する。オシリスとともにドゥアトの中を進む・・・・・」
いちばん最初に「うねる水の道」があって、その水の道には「曲がり角」があったようです。
からと水道跡、平生町竪ヶ浜より望む。
上の写真ですと、からと水道は波野スフィンクスのふもとで右方向(東方向)へ直角に曲がっています。
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やがて最初のうねる水の道(からと水道)は何かの原因で閉塞してしまい、航行不能な水道跡になってしまいます。
やがて人々は隣の大畠瀬戸に水道を再現させます。その再現した水道がロスタウではないかと推察します。
コフィン(棺)・テキスト・創生の守護神(上・P-195)より引用
「私はロスタウの道を通った。水の上も、土の上も。これらがオシリスの道だ。それは空の果てにもある・・・・・
私はオシリスだ。ロスタウに来たのは、ドゥアトの秘密を知るためだ・・・・・ドゥアトの門から返されることはない。
オリオンとともに空に昇る・・・・・私こそロスタウの前で流れ出るものを集める・・・・・」
やがて大畠瀬戸も長くは続かなかったようで、広島や岡山を経て近畿方面へと移動していきます。
ですから、水道が直角にカーブしている辺りが共通しています。近畿はからと水道の拡大版なのです。
テキストの書いている「うねる水の道の曲がり角」です。
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周防の古記録ではドゥアトをこう記しています。
天保年中編纂・防長風土注進案・熊毛郡塩田村風土記より引用(現在の光市塩田)
当村近郷道前美和の庄の内、嶋前は大嶋郡の前にあたり其故を以って嶋前と云いしとかや。
大嶋郡の後ろ豫州の内道後と申す所ありし。嶋前嶋後を今誤りて道の字に書けるか。
当村の儀は石城山往古西天痾陀國の天王降臨の刻、三方の海原俄に平地になりぬと
石城山縁記に相見え、故に塩田と言傳しか、其著明不詳。
享和年中編纂・玖珂郡志・由宇郷より引用(現在の岩国市由宇)
此の名目(由宇の地名のこと)、湊村道後に温泉湧き出す、今、慈雲院の下に薬師あり、湯の薬師と云う。
今は山田の薬師と云う。其の外、出合湯ノ尻ノ源左ヱ門居宅の下に湯の有りしに、所の者不浄の杓を
つけしより湯出ず。その年、山口湯田の湯湧き出す故、此の辺の者、彼の処へ湯抜けたりと云う。
今、其の在りし所、畠中に温かなる所あり。寛政六年に出合の川端、岩の間に温泉出れども、
川の入り隅故、取り立てがたし。
(欄外・伊与にても道後・道前と云う。湯尻の湯の町と云う畠ありし。湯気ありて雪霜消える也。)
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慈雲院とある寺院は今も由宇町北という所に実在しています。由宇中学校の西側です。
これらの由来を見ても由宇町の辺りは大昔には道後と呼ばれていたようです。
さらに光市岩田の辺りを道前と呼ばれていたことがわかります。
道前「どうまえ」がありますので、道後は「どうあと」と読めることになります。
由来では地名の起こりである温泉(湯)に関係した慈雲院が特筆してありますが、ここではピラミッドを解明します。
森ピラミッドと連係しているのは慈雲院から約数百メートルの距離にある榊八幡宮です。
享和年中編纂の玖珂郡志に記してある榊八幡宮の由来には、こうあります。
「往古、文明十三年五月三日、神幸、西方海辺の由。天保三年五月、鳥居田と云うより鳥居掘り出す。」
神幸(しんこう)とは、神輿(みこし)などに御神霊を載せて巡行することをいいます。
西方とある部分を西の方向ととらえる向きもありますが、原典は「西方海辺の由」です。
榊八幡宮の西の方向は山でありまして、海は東の方向にあります。そうすると、
西方とは、海を隔てた隣の周防大島の地名を言っているのではないかと考えられます。
周防大島の西方という所は森ピラミッドと油良の中間あたりにありまして、
真宮島の所、現在の道の駅がある辺りの東側一帯と思えばいいです。
そこら辺りは森ピラミッドが3つ整列して見える所です。
先で解明した森大三角の頂点から垂線を下ろしますと、整列して見える所をピタリと指しています(下図)。
榊八幡宮の由来にある西方の海辺とはその整列して見える所、つまり、ギザピラミッドとそっくりに見える所を
云っており、文明の時代頃までの神幸は海を渡り、森ピラミッドを仰いで祭事をしていたことになります。
当時の人々にはなぜ西方なのかその意味がわからないまま昔からの伝統ということで、西方に
渡って神幸祭事をしていたのでしょう。やがてその海を渡る神幸も途絶えてしまったようです。ところが、
その海を渡る祭事は日前(ひくま)の白鳥八幡宮に受け継がれているようです。白鳥八幡宮も森大三角を
形成している重要な神社ですから、海を渡る祭事が引き継がれているのもわかる気がします。
では、由来のつづきに記してある鳥居田という所より鳥居を掘り出したという記述は何を意味して
いるのでしょう。私は当初、その掘り出したとある鳥居を見たくて何度も参詣取材に行きました。
残念ながらその鳥居は残存していないようなので、次の課題として、掘り出した場所である鳥居田
とある所を尋ね歩きましたが、これも明確にはなりませんでした。意味がわからないまま、榊八幡宮の
境内を散歩しておりますと、境内にある稲荷社の古い石鳥居に刻んである名前を見て驚きました。
この鳥居は万葉歌人の奉納ではないか、と、思った途端、由来にある鳥居のナゾ、意味が一挙に解けました。
万葉歌では方位線を鳥にたとえます。そして松は神域を意味しています。ですから、松の枝を結ぶとは
方位線を結ぶことを意味します。そこまで理解できれば由来にある「鳥居田の鳥居」のナゾが解けましょう。
これが、その鳥居です。境内稲荷の鳥居として建っています。
鳥居の右向こうに見えている建物は榊八幡宮の神殿です。
石の風化が著しくて、読めない文字が多くあるのですが、従五位下佐伯朝臣則通 とあるのが見えます。
佐伯氏は大伴氏の一族ですから、万葉集の大伴家持などを見ても万葉歌との繋がりが出てきます。
片方の柱には 造立牛頭天王鳥居 と見えます。
牛頭(ごず)とは、人間の体をしながら頭は牛をしているといいます。
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万葉集 巻第七 1218
黒牛乃海紅丹穂経百礒城乃大宮人四朝入為良霜
同 巻第九 1672
黒牛方塩干乃浦乎紅玉裙須蘇延往者誰妻
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万葉集 巻第八 1511
暮去者小倉乃山尓鳴鹿者今夜波不鳴寐宿家良思母
同 巻第九 1664
暮去者小椋山尓臥鹿之今夜者不鳴寐家良霜
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ここに入れる
由宇・油良・の地図を載せて
簡単な検討記事作成
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榊八幡宮の写真など詳細な事は別ページを見ていただくとしまして、この神社の建っている丘は
縄文時代の遺物が出土しており、境内そのものが縄文遺跡です。境内を見渡しますと、祠堂が多いことに
気付きます。本殿周囲の境内には全部で七社の堂宇があります。さらに石段参道脇に一社ありまして、
全部で本殿以外に八社の堂宇があります。これに関連してくることとして、エジプトのエドフ神殿の記述が
あります。それによると、「七人の賢者がやって来て神殿の建設工事に着手した。七人の賢人とそのほかの
神々は、もともと島からやって来た。島を破壊させたのは洪水だと強調している。そして、洪水前の世界の
知恵を後世の人々に残そうとした。」そうした事情が記してあるようです。同じ内容として周防大島の屋代村の
由来にもこうあります。「抑當地は人皇三十四代推古天皇三乙卯年、妙見宮志戸石の峯に降臨したまひし時に
八人の異人山戸(ヤマト)に天降り七人は黄衣を着し則七星、一人は赤衣を着し則南極星、夜陰は光明天に
連なり近邊に耀(かがやく)こと草木砂石白日の如くに見ゆ。昼は黄気天を貫くこと柱の如く。地方の人民この
異光を見て不思議の思ひをなし(以下略す)」。この記述は熱気球を意味していると思うのですが、それはさて置き、
これとは別に、心月院の境内にも七体の石彫仏が安置してあります。同じように榊八幡宮の七社(八社)の
堂宇も関連性を無視できません。
さて、榊八幡宮をドゥアトで大々的に採り上げる訳は、その方位線がエジプトと繋がっているからです。
ドゥアトに在る榊八幡宮の拝礼方位は 315度 です。315度とは、北西の方向です。
メルカトル図法の世界地図で、315度の方向に向けて方位線を伸ばすと、上の図のようになります。
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こんどは、エジプトのギザ・ピラミッドを見てみます。
ギザ・ピラミッドを真上から見ますと、四つの面は東西南北に向いています。
ということは、四面の角は、北東・南東・南西・北西 を指しています。
そして、第1ピラミッドと第2ピラミッドの角と角は同一線上で繋がっています。
その同一線の指している方向は北東であり、方位角度は45度です。
ふたたび世界地図で、ギザから 45度 の方向に向けて線を伸ばしていきます。
ドゥアト(日本側)から伸ばした方位線と、ギザから伸ばした方位線はロシアで交わります。
下の図を見てください。方位線はロシアの「ラッタ」という所で交わっています。
ラッタ とは、ロシアでどういう意味を持つのか存じませんが、
ラッタ は英語の「ラット」と実によく似ています。
ラッタ を ラット と解釈しますと、rat 鼠(ネズミ)です。
周防大島・森ピラミッドの沖にある浮嶋(うかしま)には大ネズミ伝説がありまして、
防長風土注進案の森村の条、浮嶋の樽見の段と、頭嶋の段に、それはそれは長文で
大々的に記してあります。 ネズミごときで大々的な長文は少し奇異な面があります。
今まではネズミの大量発生による農作物の被害だったのだろうと解釈されてきました。
実は、そのネズミ伝説の裏に、まさに巨大な内容があったことになります。
これで三角形の上二辺ができました。 次は底辺を作ります。
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三角形の底辺になる線を出しているのは、ギザ・スフィンクスです。
ギザ・スフィンクスの見ている方向は東です。諸本によると真東を向いています。
ギザから東へ向けてまっすぐに線を伸ばしていきますと、日本では屋久島を通り、伊豆諸島、
そして鳥島の西側約2百キロの海上で、上から来たドゥアト(榊八幡宮)の線と交わります。
これで三角形になりました。各辺の長さ(距離)を計りますと二等辺三角形であり、
先に解明した油良沖大三角や、森大三角と同じ特徴を持っています。
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では、こんどは森大三角と同じように三角形の北側頂点(ロシアのラッタ)から
垂線を下ろしてみますと、下の図のようになります。
下ろした垂線が三角形の底辺と交わる地点の拡大図は下の図です。
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こんどは森大三角の西方の海辺に相当する地点には何があるかと見ますと。
↑上図の黄色丸印の部分を拡大したのが↓下の図です。
垂線は天山山脈の千仏堂をピタリと指しています。
これと共通していることとして、
森大三角の中央部にある西方、平野薬師堂の由来には次のようにあります。
防長風土注進案・平野村より引用
(途中より) 平野村沖へ佛体と見へ数多流れ寄せ給ふ、村人打ち寄り小高き所へ
揚げ置き候ところ、夜な夜な光明を照らし給ふに付き、畔頭、西方村の二ノ宮四郎右衛門方へ
相届け候ところ、大佛数多の事につき、彼の者工面を以って京都大佛師を呼下し、
洒粧(お・も・て・な・し・。^^。)致せ候ところ、恵心の御作佛と云。 (以下略す)
この由来は萬治元年としてありますが、実際にはもっともっと遠い時代のことでしょう。
それを証明するように由来では、こう続きます。 「又曰、舊(古い意味)本尊、十二神ともに揃ひ
ありし由、洪水の節流失、又は紛失し候かな、年歴を経て実否は相わからず候事。」
平野薬師堂は油良湾(白木湾)が手にとるように見渡せる丘の上にあります。
森ピラミッドを形成している神山(こうのやま)が間近に見おろせます。
平野薬師堂には次の仏像が現存しているそうです。
木造薬師如来坐像 122.4cm
木造聖観世音菩薩立像 147cm
木造地蔵菩薩立像 138.8cm
木造二天王立像 2躯
阿形総高 172.8cm
吽形総高 169.3cm
平野薬師堂については又、先でべつにページを設けるつもりです。
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以上のように森大三角と、日本・ギザ直結大三角には共通点が次々と出てきます。
では、こんどはスターシャフトと呼ばれる通気口のナゾについて調べてみましょう。
こちらへどうぞ(内部リンク)
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