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 青雲の白肩津・楯津


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 吉備で八年を過ごした神武一行は、速吸門(はやすいのと)で亀の背に乗って釣りをしながらやって来る人に出会います。
 物語のこの場面では「速吸門」で惑わされてしまいますが、「鳴門」という言葉を考えてみてください。鳴門は今でもあちこちで使われている言葉です。速吸門も鳴門と同じように、昔にはあちこちで使われていた言葉としたらどうでしょう。この場面で大事なのは、亀の背に乗っている、という部分です。
 吉備から急流を進んで「亀」に関係した所と言えば、「丸亀」です。
 丸亀という地名の起こりを調べてみますと、1602年(慶長7年)に生駒氏が「亀山」に築城して、丸亀城と名付けたのが丸亀という地名の起源だとあります。もともと「亀」に関係した地名があったわけです。それを基にして丸亀と名付けたのですから、神武遠征の、この場面は吉備から丸亀へと渡っていることになります。
 丸亀からは物語通りに順々に進行できます。
 浪速の渡り(なみはやのわたり)は速吸門と同じことです。大事なのは「青雲の白肩津」です。丸亀市のすぐ近くに「白方」という所があります。
 物語は、白肩でトミノナガスネヒコに戦をしかけられ、楯を持って船から降り立ちます。古事記ではそこを名付けて「楯津」というとあります。この場面をよく読んでみますと、先ず白肩の津が先に在って、そこへ神武天皇が楯を持って降り立った、だから楯津と名付けられたわけです。ですから、白肩と楯津とは同一地点でなくてはなりません。丸亀市のすぐ隣りに「多度津町」という所が在り、「白方」はその多度津町のなかにあります。
 青雲という言葉の持つ意味は「歌」でありまして、青とは、推古天皇を意味します。赤が聖徳太子です。そうした事は日本書紀の方に記してあります。推古天皇は歌姫ですから、青は「歌」に関係しているわけです。丸亀市と坂出市の中間辺りに「宇多津町」という所が今もありまして、青雲とは、「宇多津町」を指しています。「雲」の持つ意味は綿花の白い色を意味します。たしか神籠石遺跡がすぐ近くにあったと思います。そうすると、「亀」を挟んで両側に「青雲」と「白肩」とが今もしっかり残っています。ほとんど同一地点ですね。
 参考までに、丸亀市の隣りの坂出市は良質なサヌカイトという石が採れます。サヌカイトは刃物や鏃(やじり)を作る時に便利な石ですが、サヌカイトの原石を掌握すれば武器が大量に作れます。室津半島の縄文岩田遺跡(平生町佐賀)から出土した石器の60パーセントが坂出市金山のサヌカイトであるという事実も重なります。
 さて、白肩の津の戦いで五瀬命はトミヒコの打った弓矢が当たり負傷します。そして、あの有名な語り、自分は日の御子であるから太陽に向かって戦うことは良くない、太陽を背にして戦おう、と誓います。
 太陽に向かう、ということは東へ向くことを意味します。太陽を背にするわけですから、西へ向いて進むことになります。丸亀市から西へ向かって進んで行きますと、川之江、新居浜、今治、と進行します。途中には別子銅山もありますし、西条市の永納山城などの神籠石遺跡もあります。綿花の掌握ですね。
 こうしてみますと、神武遠征のルートは神籠石圏で行なわれていることが見えてきます。特に丸亀や坂出の辺りは激戦地だったのでしよう。

 写真は撮影出来次第、掲載するつもりです。



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