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2012・表紙写真ギャラリー






2012年12月1日・記す

更新作業前半は五万分の一の精細な地図で分析していたのですが、
0.5度の違いが遠距離になると大きな誤差になって出てくる訳です。
0.5度がどのくらいのものかと申しますと、鉛筆の芯が尖っているか丸いかで
大きく変わってきます。そのくらい神経を使うんです。
よし、それなら少しルーズに二十万分の一の地図でやってみようと
地図を変えてやってみましたが、当然同じことでした(泣笑)。

偏差補正については今までも何度か書きましたが、
コンパス方位は実際の数値に対して何度かの補正をしてやるのが本道です。
そのことについては随分悩んだ時期もあります。悪く言えばご都合主義になってしまう訳です。
答えは意外なところにありまして、方位線を引きますと、指針となる社寺が必ずあることに気づきました。
それらは補正を入れていないものでした。重要なことは、線引きをした神代の人が偏差補正を入れたかどうかが
問題なのだと気づきました。しかし後期の頃になると補正無しと補正有りとの2本線で両刀使いをしているものもあります。
しかしそれらは少数で、それをやるとご都合主義になって惑わされますからやりません。
私は、もう二十年間も線引き分析をやってきましたが、神経が磨り減ります(笑)。


驚きだったのは方位線が横並びに奇麗に並んでいるでしょう。
神代人たちが如何に出雲に執着していたかがわかります。

まだ何社かあるのですが、円形コンパスの頃のデータは正確ではないので割愛してあります。
いずれ正確に計測させてもらって掲載しようと思っています。




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2012年11月



島根県大原郡加茂町大字宇治にある加茂岩倉遺跡です。
平成8年(1996)十月十四日の午前十時頃、農道整備の工事によって偶然発見されました。
矢印の斜面で大量の銅鐸が出土。
発見された時の連絡網の時間単位分単位の緊迫した様子が調査報告書に記してあります。
たいへんな騒ぎだったようです。この遺跡はそれほど日本中、世界中を興奮させたのです。




銅鐸は本来何に使われていたかということに関しましては様々な説があるようです。
そもそも銅鐸の鐸は飛鳥時代に寺院などにぶら下げられていた木鐸や金鐸などの風鐸(風鈴)から付けられた名です。
飛鳥時代にはすでに本来の使いかたがわからなくなっていたらしく、
風鐸に似ていることにより鐸の名になってしまったという由来があります。

重要なこととして、銅鐸が製作された年代の初期と終末期とでは相当な年数の隔たりがあることです。
銅鐸の編年表を見ますと、紀元前三百年の弥生一期と呼ばれる時代からその存在が確認されています。
そして紀元後二百年の弥生五期と呼ばれる時代あたりから使われなくなっていったようです。
その間、およそ五百年もの隔たりがあるのです。銅鐸の歴史はその五百年のなかに凝縮されています。



では、本来の使用目的は何であったのかと、私なりの解釈を順に申し上げますと、
初期の銅鐸は石包丁が進化した物であり、本来は武器として使われていたものです。

その使い方は、型持孔と呼ばれる穴に縄を通しまして、その縄にパイプ状の(竹など)の
持ち手(ハンドル)を通します。そして鐸身と呼ばれるラッパ状の内部に衝撃緩衝材(布団状の綿など)を
挿入します。そして左腕を突っ込んでハンドルを持ち、敵の討ってくる剣を受け、右手(利き腕)に持った剣で
相手を討つ、というのが本来の使われかただと確信しています。つまり、簡単に言えば盾に相当する物です。
だから荒神谷などでは剣と一緒に出土しています。左腕に付けた銅鐸で敵の剣を受けて、右腕に持った剣で敵を倒すものです。
銅鐸のサイズが大小色々あるのは、日本人と外国人または男性と女性の体格の違いを表わしているものです。

その銅鐸も弓の命中精度の高まりや鉄剣の普及につれて、板などで作った盾に取って換わります。
銅鐸が廃れていった要因でしょう。鉄剣の普及により、銅製の武器は廃れる一方の運命をたどります。

盾や鉄剣を使うようになりますと、銅鐸は先祖の使っていた物として守護神になります。祭祀銅鐸の始まりです。
銅鐸先端の包丁の部分を鈕(ちゅう)と言いますが、その包丁の刃に相当する大事な部分に飾耳を
付けている銅鐸も他所では出土しているようですが、それなどすでに使い方がわからなくなっていた可能性があり、
当然実戦に使われた物ではなく、最初から祭祀銅鐸または装飾用銅鐸として作られた物だと思います。

この加茂岩倉出土の銅鐸はすべて実戦に使われた物です。
それは有名なバツ印でわかります。

そうしたことなど、来月(12月)更新に書いてみるつもりです。

2012-10/30記





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2012年10月



 Camera Canon IXY 210F    

 平成十八年に掲載した阿多田半島・神代のオブジェの最新情報です。
 特に変化無し。草木のなかで眠っています。



 黄緑色のラインは人間の高さです。
 私が立ってセルフタイマー撮影しようとしましたが、
 砂浜に飛び降りたら上がれなくなる感じだったのでやめておきました(笑)。
 昔には手前側の石垣など当然なくて砂浜状だったのだろうと思います。
 回りには戦時中の防空壕がたくさんありますので、石垣もその頃に築造されたのでしょう。
 その防空壕も観察するに、本来存在していた横穴(洞窟信仰)の跡を利用したのではないかと思います。




 この十月の最新状況です。野イバラをかき分けて撮影に行ってきました。
 阿多田半島は現在この状況で手付かずで眠っています。安心しました。ご安心ください。
 柳井市伊保庄の厳島の遺跡破壊の例もありますから、私としては心配で心配で・・・。
 ここはもと少年院の農場で使われていました。一般は立ち入ることができなかった場所です。
 方位線などを分析しますと、この阿多田半島は全域が神域に相当します。
 だからこそ万葉歌人に愛されたんでしょうね。





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2012年9月



山口県柳井市にある水口茶臼山古墳です。











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2012年8月



山口県柳井市の水口茶臼山古墳から仰ぐ琴石山(こといしやま)。




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2012年7月



山口県周東町高水にある夫婦岩。
向かい合う男女が彫られている遺跡です。




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2012年6月



山口県熊毛郡田布施町にある「おさだの丘」




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2012年5月



山口県徳地町串にある現降(げんこう)八幡宮




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2012年4月



岩国市周東町川上にある鮎原剣神社
写真は本殿の裏にある社の参道から撮影したものです。




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2012年3月



山口県平生町佐賀から見る長島の雑石(ぞうし)スフィンクス。

 2009年3月に撮影したものです。
 このまま写真を眠らせておくのも勿体無いので表紙写真に使いました。 
 雑石(ぞうし)瀬戸に在るので私は雑石スフィンクスと呼んでいます。
 上関長島の一部分であり、スフィンクスの向こう側に見えている半島は四代です。
 この辺りにはスフィンクスが2頭いまして、もう1頭は田布施町波野にいます(波野スフィンクス)。
 雑石スフィンクスの前足の部分を小山と言いまして、波野スフィンクスが基になっていることがわかります。
 スフィンクスが2頭と申しましたが、実際には広範囲にもっとたくさんいます。
岩戸スフィンクスなどはその形が明確に現われています。
 また、コバルト台地から眺めますと、からと水道を大ネズミが泳いでいたりもします。

 下の写真は雑石瀬戸を広範囲に眺めたものです。雑石スフィンクスは龍と向かい合っています。






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2012年2月



山口県美祢市の長登(ながのぼり)銅山付近から出土した万葉歌の木簡。




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2012年1月



山口県大畠にある大神宮の神殿内、五色の御幣。


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2012年年賀



山口県 式内石城神社の神殿。



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