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祖生・岩隈八幡宮 日積・大帯姫八幡宮 道案内
玖珂インタールート
山陽自動車道・玖珂インターを出た所です。画面の後ろ側が料金所になります。
ゼロ戻し、まだです。
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高速の下をくぐったらすぐの所にある「瀬田下」バス停でゼロ戻しです。
画面右手にセブンイレブンがあります。
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通り過ぎないように距離計に注意。
左折したら少し狭い道になりますが、カーブを回ったらすぐに広い道になります。
そのカーブを回ったら、すぐ次の4図になります。通り過ぎないように注意。
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広い道になったらすぐの所です。画面のように広い所があります。
私の車がとまっている所の前方に登りの道が見えます。その道が車での参道です。
車での参道は軽四が精一杯です。私は以前、インプレッサで登ったことがあるんですが、冷や汗をかきました。
道路標識の右側(石垣の所)に燈籠が見えます。そこが本参道の昇り口です。
燈籠横の石垣の家が社務所です。
車は社務所の石垣の横にとめるといいと思います。歩いて昇ることをおすすめします。
祖生・岩隈八幡宮 解説 (内部リンク)
参詣が済んだら、4図を向こうの方向に向いて出発します。
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近接して2つの交差点があります。信号のある交差点を右折です。
ここを右折したら国道437号線です。次までだいぶ距離があります。
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次の9図まで百メートルしかありません、通り過ぎないように。
軽四がとまっている向こう側の左に本参道の石段が昇っていますが、今回は上の駐車場まで上がります。
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ここを左折したら登りの道になります。道幅は充分あります。
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玖珂郡志より
日積村 (日住・日包)
旧記曰、日積ハ日月乃村ト云。日ヲ積デ月ト成トノ古語也。故ニ当郷ハ日月之表儀也。
よって伊勢両宮斎奉るところの謂れ。日積・日包ノ儀也。 (青文字部分、私の解読)
大帯媛八幡宮
中尊大元尊神 (左の御手に鏡を持つ)
神霊 中・大帯媛尊 左・仲哀天皇 右・応神天皇 (以下堂宇略す)
当社は筑前国香椎宮御同体ト申伝。古来ヨリ旧号日積大元宮ト称奉。其旧跡ヲ考ルニ、昔、御社有シ三丁北ノ原ヲ日積市トテ、市郭ノ名アリ。是小国ノ茶臼山ト云城山ノ辺也。 (中略) 往昔、勧請ハ天平宝字年中御鎮座トノ社伝也。古ハ日積宮又ハ日積八幡宮ト称シ来、中古、大足注連八幡ト誤リシヲ、近代、大帯媛宮ト改号ナシ奉ル。殊ニ当社勧請ノ朝、日神ノ出御ヲ拝玉ヒ、日ニ向フ所ナリトノ玉テ日向原ト云。 (以下略)
大帯姫の呼び名は帯(たらし)と呼ぶのが嫌で「おおたいひめ」と呼ぶ向きもありますが、古事記では帯(たらし)称の付いた人物はすべて天皇です。
たとえば歴代天皇で最初に帯称の呼び名が付くのは孝安天皇で、「大倭帯日子國押人命(おおやまとたらしひこ)です。
今は「たらし」とか「たらす」と言うとあまり良いイメージはないのですが、歴代天皇に付けられている称号という訳で、「おおたらしひめ八幡宮」と呼ぶのをためらうことはないです。
大帯姫八幡宮写真集
道案内の8図の所です。
車では左から右へ進みました。
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昔の裸電球の外灯がとてもいい感じです。
左の家は、もと雑貨屋さんでした。
参詣に訪れる人々は、ここで一服して昇殿したのでしょう。
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見た感じはそれほどでもない石段なんですが、実際に歩いてみると、途中で2回3回と立ち止まって休憩です。
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石段の途中で振り返ってみますと、前述した由来記にある小国の茶臼山がよく見えます。
由来では茶臼山から移ったと考察してあり、私もそう信じていたんですが、研究を重ねるうちに、大帯姫八幡宮は創建された古来よりここに在って、動いてはいないことがわかってきました。本来からここに建っていたんです。
実は、この構成は柳井市春日神社とそっくりな配置になっています。由来にある伊勢両宮の意味ですね。詳しい事は伊勢の章で研究してみましょう。 小国茶臼山古墳・内部リンク
上の写真を拡大したのが下の写真です。
この小国茶臼山は古墳です。城山とも呼んでいたようです。由来記では戦国時代の説話になっていますが、研究していくと、神武の物語に登場する「ウカシ兄弟」の陵墓になります。そして、その「ウカシ兄弟」こそ、景行天皇(大帯日子淤斯呂和気天皇)(おほたらしひこおしろわけてんのう) の子息、大碓命と小碓命でもあります。この人物は有名な「ヤマトタケル」でもありますが、そもそもヤマトタケルという名には何人かの人物を内包しています。つまり、ヤマトタケルは一人だけではありません。又、そのなかには女性も入っています。「ヤマトオグナ」です。
物語ではヤマトタケルが亡くなった時、側近達が白鳥を追って行きます。それは陵墓の改葬を意味しています。改葬については以前も書きましたが、小国茶臼山古墳から平生町佐賀・白鳥古墳に改葬され、広島、岡山、そして大阪と、さらには関東圏も入っているようです。順次改葬されています。なぜそれほど何回も改葬しているのかという事については、簡単に申しますと、昔も今も地域起こしは大事です。陵墓には天皇をはじめとして側近達や多くの人々が参詣に訪れます。まさに地域起こしなんです。その陵墓は何処だったかについては、又あらためて研究してみましょう。
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石段を登りきると、東へ向かって一直線の参道が待っています。
社殿にたどり着くまでの相当な時間は、参詣者の心を清める意味があるそうです。
車で参詣しても、この参道は歩いてみたいものです。
鳥居の上に遠望している山は銭壷山(ぜにつぼやま)。
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境内は広い駐車場になっています。
画面左手の青いパイロンの道を少し入ると、境内脇に下の写真のキャンプ場がありまして、車でのオートキャンプもできそうです。
日積キャンプ場
水道もトイレも完備しています。
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大帯姫八幡宮 拝礼殿
間伐材利用の燈籠はさすがです。私も作ってみたくなりました。
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境内社は皆、本殿に向かって左側の配祀になっています。
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左側の建物は社務所。
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神殿を囲んでいる堀跡のような構造。
神殿後部。
エジプトのスフィンクスもこんな塹壕のなかに入っていることを思うと、共通性がありそうです。
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