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 岩隈八幡宮  山口県岩国市玖珂町903番地       

 撮影・2007年3月   再編集・2012年2月        



 岩隈八幡宮は岩国市玖珂町と周東町祖生(そお)に同じ名称で二社あります。
 こちらは玖珂町の岩隈八幡宮です。 




 駐車場は境内にありますが、入り口が国道2号線の交差点です。ご注意ください。   




 境内参道脇にはたくさんの祠堂があります。  







 鳥居横にある八角形の臼を伏せたような形をした石です。
 乳の神様(乳癌防止)とあります。







 大鳥居をくぐってから長い参道があります。
 この参道は国道2号線と並んで走っていますが、木々に遮られて国道からは見えません。







 長い参道の末に稲荷社があります。




 長い参道と合わせて広い境内にも圧倒されます。







 玖珂郡志より
 周防国玖珂郡玖珂六ヶ郷総社 正一位岩隈神社。鎮座奉る神九座。
 岩熊宮三座。各神体の笥、木瓜形黒漆封小穴二つ。米八升懸目あり。
 中、三毛入野神。左、磐余彦神。右、玉依姫神。この三神の神体は秘物にて代々社司も拝せず。
 殿に御戸の無き。遷宮の時、神輿に遷し奉るに甚重し。
 八幡太神三座。各白木の社造り。扉あり。冠装束の木像なり。
 中、誉田別尊。左、足中彦尊。右、気長足姫尊。以上六座、大玉殿の中に御座也。
 (前文略す) 昔、祖生村の岩熊山に有る岩の上に初めてこの神影向ましますを、
 西南の高山の末の岩の上に猿出て、日々拝礼をなしけるを里人あやしみて、御神の化現たまふことを知れりとぞ。
 今に影向石と云。岩熊宮と称し奉る故は、彼の石、熊の形に似たるに依て也。後に岩隈と書く。
 猿拝みたる高山の末をば今に至るまで猿拝と云。(途中略す) 又、鈴柿あり。是は往古この木に鈴下がり、
 夫より鈴のごとく年々柿なりて有りし由、申し伝ふ。(中略)九座の神を岩熊山に下つ岩根に宮柱太しく立て御座す由、
 天平四年の神門の棟札今に残れり。(中略)その後、元禄四辛未夏五月四日、領主吉川広紀君この社に詣でたまふ。
 その年の秋九月、今の久重山に遷鎮め奉る。この久重山、昔は白重山と云。
 境を立て、末は大岩境。西は谷限。東は清水谷限。小丸山続きに神山と除きたまふに依りて、
 山の形久文字に似たる故、儒士宇都宮遯庵、久重山と改めたまふ。
 (中略)九月九日の祭祀、朝座式、神供式、舛形供・神幸・神袋供などの式あり。そのほかにも数多の祭式あり。  

 久重山中の末社。
 稲荷大明神 祇園神社 氷川大明神 荒神社 諏訪大明神 火打権現 梅宮大明神 山上大明神 
 八天狗大権現 猿田彦太神 粟島大明神 市杵島大明神 天満宮社 愛宕大権現 宇賀神社 疫神社 
 多賀神社 金毘羅神 以上十八神社。 角大明神別に。












 玖珂・岩隈八幡宮  
 拝礼方位 15度   計測 2007年4月  再分析・再編集 2012年2月      

 拝礼方向 ⇒ 甘木山(406.8) ⇒ 入野の神社 ⇒ 日宛・後迫の神社 ⇒ 戸河内町土居の神社(寺の所) ⇒ 冠山東麓の才乙の神社 ⇒ 入野の寺 ⇒ 内陸側の温泉津町(温泉津は二つあり) ⇒ 大屋町 ⇒ 五十猛と静間の中間地点      

 社殿前面方向 ⇒ 玖珂町瀬田 ⇒ 西光寺山 ⇒ 佐田上 ⇒ 波野行者山(波野スフィンクス) ⇒ 田布施町長田(おさだ) ⇒ 梶取岬 ⇒ 牛島 ⇒ 祝島 ⇒ 大分県神崎の築山古墳 ⇒ 臼杵石仏(二ヶ所とも) ⇒ 風連洞窟 ⇒ 宮崎県延岡市の南方古墳群 ⇒ 川南古墳群 ⇒ 茶臼原古墳群 ⇒ 宮崎神宮の約1キロ西側 ⇒ 種子島 ⇒   

 社殿に向かって右方向 ⇒ 通津町の通津美ヶ浦 ⇒ 愛媛県東三方ヶ森(1233) ⇒ 笹ヶ峰(1859) ⇒ 高知県綾木森(1140) ⇒ 高知県宍喰  

 社殿に向かって左方向 ⇒ 玖珂町の鞍掛山北側約数百m ⇒ 菅野ダムの所の神社 ⇒ 秋字名の河内神社 ⇒ 長登北側の鞍掛山 ⇒ 豊北町島戸地方 ⇒ 伊瀬 ⇒ 角島の北側      


 分析しての感想    



 方位線全体を見ますと、神武遠征のページでもとりあげた波野行者山(上の写真)が主体になっているようです。
 特に右方位の最終地点辺りで明確に記録されており、波野行者山は宍(しし)の形になっています。私は波野スフィンクスと呼んでいます。  
 スフィンクスの頭頂部は本来山頂古墳であり、被葬者が何度か代わっているようです。
 波野スフィンクスに関するページ その1  その2  その3  (三つとも内部リンクです。)  




 方位線左方向には鞍掛山が同名で二ヶ所に登場しています。 
 (上の写真)玖珂町の鞍掛山のふもとの古戦場跡は古代の乱にも関係していると私は推察しています。
 古代の乱と近代(戦国時代)の乱とが重複しているようです。俗に言う壬申の乱ではないかと思います。
 上写真の玖珂町は蓮華山のふもと周辺に鉱山跡が多く残っていまして、それらの代表的な存在として
 二鹿(ふたしか)鉱山跡は古代には銅を産出し、昭和時代に至るまでも光る石タングステン鉱山として君臨していました。 
 そうした関係を表すかのように同一線上に長登(ながのぼり)銅山跡の北側にも同じ名で鞍掛山が登場しています。  

 下の写真、黄色矢印は多くの戦死者の墓石を何ヶ所にも分散して集めてあります。







 前面方位は圧巻です。先ず大分県大分市大字神崎にある築山古墳(前方後円墳)です。
 残っていた人骨から女性が葬られていたことが明らかになっています。
 埋葬に使われた朱の総量が34kgということで当時として最高級の豪華さだそうです。
 埋葬されている人のことを被葬者と言いますが、山口県側とを見ましても女性の被葬者が多いようです。
 やはり日本の古代は女王国だったことの証しでもありましょう。



 南方(みなみかた)古墳群・宮崎県延岡市。
 川南(かわみなみ)古墳群・宮崎県児湯郡川南町。
 茶臼原(ちゃうすばる)古墳群・宮崎県西都市大字穂北。


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