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三輪神社 神殿拝殿 左手方位線 分析図






光市岩田です。

地形図撮影の文字の所にある駅はJR山陽本線、岩田駅です。

丸印の寺は正法寺。

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光市立野(たての)です。

右側の丸印、河内の所に立野神社があります。

左側の丸印、観音寺は地名です。グリーンマーカーの寺は常光寺。

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岩徳線の、すおうくぼ駅の南側です。

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下松市生野屋(いくのや)です。線路は岩徳線。

時宗団地の所。

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以下、5万分の1。





下松市の花岡八幡宮は 1月1日の頃、西の大華山に夕日をのせます(下の写真)。

注・ラー神・エジプトの壁画に出て来る鳥の頭をした神で、頭上に太陽をのせている。

この地には「からと水道跡」を中心に東西、日の出と日の入りにラー神がいます。

ちなみに日の出のラー神は周防大島の飯の山です。大畠の鳴門大明神から 1月1日に見れます(下下写真)。




撮影した日が 22日です。

鳥の頭の形をした太華山(たいかざん)です。

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鳥の頭の形をした周防大島の飯の山(いいのやま)です。

大畠町石神の鳴門大明神から撮影しました。

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周南市、KRY山口放送の所です。

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神殿の方位線は永源山を指しています。オランダ風車のある山です。

永源山には戦没者慰霊の神社がありますが、おそらく昔からあった神社を

戦没者慰霊の神社に改装したのでしょう。方位線はそこを通っています。

永源山のふもとに山崎八幡宮があります。

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新南陽市・戸田の北側になります。

矢地峠トンネルの所です。図の上側は馬神という所。

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山口市です。瑠璃光寺の所を拡大したのが下の図です。

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瑠璃光寺の由来は戦国大名たちが絡んでいるため複雑です。

古文書を読んでも、たぶんゴチャゴチャして訳がわからないと思います。

瑠璃光寺の由来で特筆される部分を選出して、まとめてみます。


防長寺社由来

● 陶越前守弘房公の妻、法名 花谷妙栄大姉、仁保の郷にて弘房公の建てた寺、名は安養寺。

● 安養寺の名を改めて瑠璃光寺。 開基より今に至るまで二百七十年。

● 陶家の時、寺領寄附証文などあったが、古紙のため文字が見えないところが多くあるため書き出さず。


防長風土注進案

● 武州江戸芝瑠璃光寺は慶長十五年建立。 江戸瑠璃光寺を青松寺に附興す。

● 香積寺は大内左京大夫義弘朝臣草創の地にして、開山は石屏。

● もとの香積寺の地に当寺を移されしは吉就公の時、元禄三年。
今にいたりて香積寺の余波あるは、ただ五重の宝塔のみ。

● 萩、天樹院の涅槃像はもと香積寺のものなりと彼の寺家謂う。

● 江戸搶緕寰R門の釈迦三尊十六羅漢はもと香積寺山門上の仏像なりと
萩故實書の冊子に見える。いまだその実否を考え得ず。



特筆される部分を簡単に抜粋してみました。 ゴチャゴチャして訳がわからないでしょう。

石屏という名の人物もわかっていなかったらしく、いろんな古記録から引用しています。


いま載せている方位線を見渡せば瑠璃光寺の由来がほとんど解けます。

拝礼方位に北広島町新庄の西禅寺跡があります。大事なのは『 新庄 』という地名です。

そして右手方位に平生町の般若寺があります。般若姫の入水地点は柳井市新庄という所です。

その地には幻の濡田廃寺の伝承があります。そして、明治時代に山陽本線敷設の時に

直径約 2メートルの巨大な塔の心礎石が出土し、それを破砕して工事に使っています。

山陽本線は、かっての「からと水道」の最深部だった所を通っています。

すなわち、方位線から導き出せることは、山口市の瑠璃光寺五重の塔は、般若姫、つまり、

推古天皇の入水地点に建っていた幻の海上仏塔を継承したものである、ということになります。

その海上仏塔の建っていた地点は、万葉集の三山歌が詠まれた地点でもあることを付しておきます。


たぶん、戦国武将たちは再建とか修繕に寄与したのだろうと思います。



上記由来に出てくる仁保という所は山口市街の北側に位置しており、

下の図(拝殿・左方位線)が指しています。





方位線上に二か寺ある右側(石丸の所)は慶福寺。 左側は瑞陽寺。

オレンジマーカーの神社は竜王社。

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長登(ながのぼり)銅山跡の所です。

丸印を拡大したものが下の図。

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長登銅山跡については下のリンク(内部リンク)を見ていただくとしまして、

初代の地から長登を指している社寺の方位は、全て出雲をも指しています。

そのことは銅鐸や銅剣、銅鉾などの大量出土とのつながりを示しています。

すなわち、長登などで産出した国産銅を使って作ったということを訴えているのです。


長登銅山跡



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長門市真木という所です。丸印は願生寺。

左側の丸印は湯本温泉の所、豊川稲荷がある所です(下の図)。

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長門豊川稲荷。

丸印を拡大したのが下の図です。




太寧寺があります。

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油谷町です。

方位線の内側にはたくさんの社寺があります。

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丸印は油谷島の大社神社です。







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