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神籠石・列石上部の構造

綿花栽培のページと重複しますが、ご容赦ください。


各地の神籠石を見て歩きますと、どれも同じように見えますが、

列石の上部の加工に改良過程が見られます。

ここではそれを見てみることにします。




石城山・神籠石の上部には約 20度の傾斜がつけてあります。

ほとんどの石が風化して角が取れ、丸くなっています。

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このホームページでは様々な古記録や万葉歌などから、神籠石遺跡は綿花の栽培農園の跡だと

位置付けました。築造当初は綿花農園として存在し、後にその跡は様々に再利用をされています。








石の高さは地上で約40〜50cm。各地の遺跡もおよそ同じ高さ。横方向の長さは様々あり。




石城山の場合、石の厚さは 20〜30cm。 これは各地の遺跡によって様々あり。

石城山の場合、立て屏風のような感じで、人が揺さぶると倒れてしまうようなのもある。

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しかし、綿の栽培なら、なぜ山でなくてはならなかったのか、という事に多少の疑問点がありました。

もしや綿の価値を安定させるため、極秘で栽培されていたのかもしれないと考えていました。

しかし、もしそうなら、なにも不便な山の上でなくとも、平地で厳重に囲いをして栽培すれば

済むことではないかと疑問に思いました。


なぜ、丘状の山の上で栽培する必要があったのでしょうか。

率直に申しますと、害虫対策のためです。

棉の害虫の多くは土の中でサナギになって越冬します。

暖かくなると土から出て、棉を登り、葉を食い荒らします。





それらの害虫を駆除するには、サナギになって土の中にいる間に

土の表面を約十センチ程度削り取って捨てればいいのです。


しかし、土を削り取る方法は平地では穴になってしまうので削りようがありません。

丘の上なら、削り取った土は谷へ捨てれば解決します。

実際に私が新しい土を使って栽培してみたところ、害虫はほとんど付きませんでした。

地面から登って来る害虫がほとんどで、飛来して産卵したと思われる害虫は少数でした。



では、丘の八合目付近を鉢巻き状に巻いている列石は何なのか。

それは害獣除けのためです。

防護柵を立てても、畑を荒らす害獣の多くは地面に穴を掘って通路にしてしまいます。

害獣の通路を作らせないために柵の下に石を埋め込んで遮断したのです。

だから初期の神籠石は板状の石が連結してあります(下写真)。




福岡県前原市にある雷山の南側にある列石です。

石の板といった感じで、石城山と同じで初期型です。

石が薄ければ軽くて工事がし易く、害獣除けはこれで良いですが、薄いので、柵を載せると石から柵が

外れて倒れてしまう欠点があります。古事記にも柵が倒れて破れてしまうことを詠んだ歌があります。

それを改良したのが下の写真の石です。




雷山、東側の列石です。石に厚みがあり、上の平らな部分に柵を載せても頑丈に作れます。

しかし、これでは強風の時に柵が石の上でずれてしまう欠点が残っています。

それをさらに改良したのが下の写真、石に溝を付けた後期型です。




雷山にはこれらの改良過程にある石がすべて揃っています。

ということは、石城山の欠点だらけの初期型神籠石は、雷山や鬼城山に伝播して、

九州は雷山で改良試験をして完成の域に達し、九州各地へ伝播したということになります。




綿花栽培には豊富な水を必要とします。写真は雷山。

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岡山県の鬼ノ城神籠石は、巨大な門や高石垣のほうを重要視されることがほとんどです。

私が見学しましたところ、後の時代に再利用されている部分が多いように見受けました。

神籠石列石を見ましたところ、列石の改良過程が雷山神籠石とよく似ています。そうすると、

欠陥だらけの石城山神籠石を中に置いて、同時期に東西へ伝播していると考えられます。





水門と名付けられた石垣です。綿花栽培には豊富な水を必要とします。

石垣の上に通水口があることを見ましても、水汲み場として築造されたのでしょう。

ここに桶を持って来て、流れ落ちる水を汲んで畑に運んだのです。









上下の写真は鬼ノ城神籠石のふもとに位置する楯築弥生墳丘墓の楯築神社のご神体石です。

よく見ますと、これは糸玉をモチーフにしています。糸玉すなわち綿花豊作を祈願したのでしょう。








鬼城山で栽培収穫された綿はふもとで糸に紡ぎ、布に生産されます。

やがてふもとの地域は綿花栽培によって莫大な富を得ることになります。


余談ですが、有名な佐賀県吉野ケ里遺跡も近くに帯隈山神籠石があります。

岡山県の鬼城山と同じように綿花栽培によって富を築き繁栄したのでしょう。

しかし、やがては大陸渡来の侵略者たちによって滅ぼされる運命をたどったのです。


遺跡のより詳しい説明(内部リンク)

鬼ノ城神籠石

楯築弥生墳丘墓


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柵の種類


いよいよ本題に入ります。

列石上部の加工は数種類あり、私が把握している限りで四種類あります。

それらの加工から、石の上に設置してあったであろう柵を図にしてみました。





の石は主に石城山の加工です。雷山でも少数見られます。

図のように丸太加工がしてあればずれませんが、

石の上に載せただけだとずれてしまう欠点があります。

また、丸太の加工も大変です。


A の欠点を補ったのが B の加工方法です。

石に引っかかりが付けてあるので横木はずれ難いです。

B の石は福岡県の遺跡全域で見られます。

傾斜角度は石の風化で明確になりませんが、様々あります。


C の石は雷山や、高良山、岡山県の鬼城山などで見られます。

上部は平坦な加工がしてあり、傾斜加工の石に比較して上部の面積が広いのが特徴です。

上部の面積が広いことは石も厚くなります。高良山は約 80センチ厚の物もあり、巨大化しています。

ちなみに石城山のが約 20センチ厚ですから、高良山のは四倍もの厚さになっています。

しかし、この加工も横木を石の上に載せただけの状態であり、強風などではずれてしまう欠点があります。


その欠点を補ったのが D の加工方法です。D は高良山で見られます。


こうして見ると、改良されていく過程がよくわかります。改良過程にあった遺跡は加工方法が混在しています。

雷山は上図の全てが揃っており、改良過程 (試験過程) にあった代表的な遺跡です。また、A の加工しか無い石城山神籠石は欠点だらけです。

欠点だらけということは神籠石の初期的段階を意味しており、石城山から雷山へ伝播し、雷山で様々な改良試験が行われたのでしょう。





どこの神籠石遺跡も今の遊歩道がある位置に柱穴が検出されています。

その柱は柵の突っ張りの役目をしていたと考えられます。

図-2 は石城山の柵を推測してみました。こんな綺麗な柵だったかどうかは不明です。

古事記の歌には柴垣とありまして、そうすると図のような板張りではなく、

樹木の枝などを束ねて柱にくくり付けて柵にしていた可能性があります。

高さも、イノシシなどの害獣よけですから、それほど高くはないと思います。

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石の加工が平坦なので、柵は直立していたと考えられます。


また別に、引っ掛け加工 (下図) がしてある石もあることを思うと、

縦割り丸太を寝せて、柵には多少の反り返りがあったかもしれません。






石の大きさは遺跡それぞれですが、神籠石の初期の物は石の板という感じです。

遊歩道から見ると大きく見えますが、厚みは無く、石城山の場合約 20センチ程度です。

後期型の神籠石 (久留米・高良山など) になると、厚みも 80センチと巨大化しています。




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