トップページ    177番歌の解説ページ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



万葉集 巻第二 177番歌 関連写真






177番歌から最初に思い浮かぶ所は、石城山の北側に位置する佐田地域です。

からと水道跡の大波野 (おおはの) から上陸したとして、徒歩で約 30分から

40分もあれば佐田まで登れます。そうした関係で、この歌は佐田地域の何処かで

詠まれた歌だろうと思っていました。しかし、では朝日の意味は何になるのかと、

そのへんの意味が曖昧なままでした。私は朝日の意味を確かめるために

何度も歩いて佐田に登ってみました。そうしていると、もしや、歌の佐田の岡辺とは

石城山のことを言っているのではないかと気付きました。これに気付くまでには

十年近くもの年月がかかっています。





佐田から高日ヶ峰まで今でも昔の道が残っており、佐田地域から徒歩約 30分で高日ヶ峰まで登れます。

その登山道の途中に山中稲荷があり、その方位線は高日ヶ峰の主をも証明している重要な方位線です。


徒歩での全所要時間

からと水道跡 (大波野) から佐田まで約 30分

佐田から石城山・高日ヶ峰まで約 30分

合計 からと水道跡から徒歩で 1時間少々あれば到着します。







歌の佐田の岡辺を石城山と仮定して、朝日を調査してみました。上下同じ位置の写真です。

上の写真、朝日が昇ってくる地点は周防大島の日見、そして安下庄です。

安下庄には長尾八幡宮があり、そこは多祁理宮であり、橘の嶋の宮でもあることは

前の歌でも説明しました。そうすると、この 177番歌は橘の嶋の宮から昇ってくる

朝日を見て涙していることになります。その朝日は 1月1日 の朝日です。







石城山には大別して五つの峰があります。

佐田に関連している峰は高日ヶ峰です。そこには高日神社があります。

高日神社は昔から佐田地域の人たちが奉仕してこられたそうです。

高日ヶ峰からの展望は、木が無ければ 360度の絶景です。

そうしたことから、この 177番歌 は高日ヶ峰に登って、

太陽暦で 1月1日の朝日を見て涙していることになります。





 石城五峰 (高い順)

高日ヶ峯 362m (高日神社の所)

鶴ヶ峯 357,6m (テレビ局の電波塔の所)

大峯 356,2m (宇和奈利社がある所)

月の峯(築山) 350,3m (西側休憩所建物の上の山)

星ヶ峯 340,6m (キャンプ場の北側の山)









木の根の段があってバイクでは登れませんのでご注意ください 。^^。




拝殿裏手のご神体。







 この山頂は地形が前方後円墳の形状をしています。

上の写真は後円部から前方部方向を撮影したものです。両側急斜面です。

下の写真は 2011年に同じ位置から撮影したものです。だいぶ雑木の伐採をしてあります。


後円部の墳丘を削り取った後に高日神社が祀られたのでしょう。

 埋葬されていたのは、「天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命」であり、それは聖徳太子でもあります。

 ここが最初の陵墓であり、後に東麓の大波野(納蔵原古墳)に下ろされます。その根拠は、

納蔵原古墳の前方部は推古天皇の阿多田古墳を指しているからです。

やがては人々の移住と共に現在の近畿に改葬されたのでしょう。

この小さな高日神社が推古天皇の創建という由来を持つのも、そうした理由があるようです。




前方部が伸びているのがわかるでしょう。






・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
トップページ    177番歌の解説ページ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・