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万葉の古道を偲ぶ 第2回 佐田〜石城山




 佐田地域の風景です。

 この川は三輪に流れ、三輪神社のあるコンピラ山のふもとをグルリと廻って、

 やがては神花・阿多田古墳のある麻里府に流れ出ます。




では、佐田から石城山へ、昔の道を通って登ります。




佐田の中心部です。

ここから徒歩で登ります。






石城山へ登る昔の道は佐田の中心部から登っています。

黄色矢印を付けている所の道を登って行きます。






道案内用に作った写真を使っているので番号を入れていますが、関係ありません。

この辺は道が広いですが、歩いて登ってください。






赤矢印の方に進みます。

軽四がギリギリの細い道です。







ほんの少し進むと、すぐに太子堂が見えます。

その上の辺りに山中稲荷社があるので参詣してみます。


















 上の写真、1枚だけは再建前の写真です。

礎石を動かしていないことの証明に撮っておきました。

この小さな稲荷社の方位は、堂宇に向かって左手方向に納蔵原古墳を指し示しています。

納蔵原古墳は、高日ヶ峰から改葬された聖徳太子の古墳です。つながりがあります。

万葉歌人たちも、ここへ参詣したことでしょう。


 山中稲荷社を分析したページです (内部リンク)     







 山中稲荷社の所から、いよいよ地道になります。

 向こうに見える高い山は石城山最高峰の高日ヶ峰です。






 昔は田畑として使われていたのでしょう。石垣の間から水が湧き出ています。






 昔の古道を探り出すには、こういう所もかき分けて進みます。






 山道の脇には石積み遺跡が段々になって昇っています。

 万葉時代にはどんな風景が展開していたのだろうかと、想像をかき立てられました。



暫らく細い山道を登って行くと、現在の道、車用登山道に出合います。

その舗装道は横切ります。そして、ふたたび細い山道を登って行きます。





通る人がいないため、かなり荒れています。

道の痕跡を探しながら登って行く感じです。






 気分は、いにしえびとです。

 さすがに歌を詠む気にはなれません。






かすかに道の痕跡は残っています。






 ようやく山道らしい所になりました。通る人がいないので相当に荒れています。






 ふたたび笹のなかに道が消えていきます。

 笹の所はササッと通れ、などとシャレが出る内は大丈夫です。






佐田から登りを開始して、約30分少々 (もっとかかるかも)。

佐田からの直登坂は神籠石の北水門の所に繋がっています。




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