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専福寺
山口県熊毛郡田布施町
専福寺は波野行者山(波野スフィンクス)の南側ふもとに在ります。
ここは波野スフィンクスの前足の付け根に相当する場所です。
波野スフィンクスはどの方向から見ても横向きになっている不思議な山です。
享保年中(1716〜1736)編纂の防長寺社由来より。
防州上関御宰判波野村 真宗富正山 専福寺
(途中より引用)
次に俗姓相尋ね見候ところ、慥(たしか)に相分かり申さず候。古来申し伝へ候趣は、
京都富小路殿家御由緒かとも。 山号富正山と号し、富の字を用ひ候事。
其の因縁と申し伝ふる事にて御座候しも記録等紛失したり候哉、相知れ申さず候。
天保年中(1830〜1844)編纂の防長風土注進案より。
上関宰判風土注進案波野村 真宗富正山 専福寺 江崎に在り
(途中より引用)
当寺往古は言家(由来のこと)にて寺號林正坊といへる古刹にてありしを、(以下略す)
由来記にある林正坊とは、「りんしょうぼう」と呼びまして、
波野スフィンクスへ向かって右側の前足に在り、上の写真ですと、
画面右側から長い丘が数百メートル突き出ています。その丘に在ったようです。
なお、向かって左側の前足は万葉香山で、現在は丘の上に徳吉稲荷が在ります。
両足の内側は往古の入り江であり、やがて入り江が退化して池になっていたようです。
それは古事記の雄略天皇、赤猪子の段に以下のような歌がありまして、それでわかります。
(諸本の現状訳で引用) 日下江の 入り江の蓮 花蓮 身の盛り人 羨しきろかも
「入り江の蓮」とあることから、海浜の入り江が退化して池になっていたことがわかります。
さらに、私が前住職(故人)から聞いた話によりますと、林正坊は本来、松の字をあてて林松坊と書くのが
正しいと聞きました。おそらく前住職は寺伝の古記録か何かを見てそう言ったのだろうと思います。
昭和時代の火事が惜しまれます。また、その事は地域の古老もそう言っていましたから、あながち
いい加減な話でもなかろうと思います。どちらでも構わないような話ではありますが、先で何かの
証明になるかもしれませんので記しておきます。
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