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鬼ノ城神籠石 第3部
きのじょう こうごいし
岡山県総社市黒尾・奥坂所在 2015年2月 見学
第2部からの続きです。第2部はこちら。
門内側の桝(ます)形状遺構。
風化防止のため遺跡整備で真砂土舗装がしてあります。
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門の内側。
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門の内側から外を見る。
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この北門だけ排水溝が設けてあります。
長さ11m程度の暗渠排水溝です。
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門柱の構造は他の門と共通しています。
この北門は他の3門に比較して雑な造りだそうです。
ただ、掘っ立て柱は地中240pも埋めてあり、他の門に比べて最も深いということ。
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北門から見た門外の斜面。
あたかもインカ遺跡のごとき石垣遺跡が下っています。
自然に崩れたとしては不自然な、人為的に崩されたような感じがします。
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土塁跡
ほとんど流失して原形はとどめておらず、土塁跡だと言われないとわかりません。
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黄色矢印の所に温羅石碑が見えています。
岡山市中心部を遠望しています。
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遊歩道にある温羅石碑。
昭和十二年四月の建立です。
昭和十二年、ここに石碑を建てた意味が不明で、こんな奥まった所に建てなくとも他に良い
場所はいくらでもあるのです。何か温羅を想定させる物が存在したのだろうかと見渡して
みますと、下の写真、真っ二つに割った大岩が見えました。
真っ二つに割った大岩はここだけではなく、御所ヶ谷神籠石にもあります(下写真)。
こんな石を割るにはクサビを使いますが、クサビの痕跡がまったくありません。
自然に割れた岩とするなら、各遺跡に見られるのをどう説明するか、ということになります。
古代人達が優れた石工技術を我々現代人に見せつけているように思えてなりません。
ちなみに小規模ですが、楯築弥生墳丘墓にもあります(下の下写真)。
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北門から温羅石碑へと進み、さらに進みますと、屏風折れの石垣と呼ばれている所へ出ます。
この屏風折れの石垣については第1章でも解明しました。同じ記事になりますが、もう1度、説明します。
もし、この屏風折れの石垣が城壁や見張り台とするなら不自然な点が幾つも出てきます。
今まで見て来ましたように、この山は自然石がそのまま城壁の役割をしてくれているような山です。
山の斜面を巨岩が無数に張り出して登山者を遮ります。つまり、高い石垣などを築く必要は無いのです。
このわずかな幅しかない舌状に突き出した石垣を造った本来の目的は何のためだったのでしょうか。
石垣の上は大きな建物を造れるほどの広さは無く、幅は大股歩数で約10歩程度しかありません。
方位を測ってみますと、舌状の突き出し方向は真東です。そうすると、この舌状に突き出した石垣の上から
突き出し方向を見ますと、日の出地点は突き出しを中心に置いて右に左に日を振ります。上の写真は
日の出方向を撮影したものです。日の出は一年を通して、写真の稜線を右へ左へと移動しながら昇ります。
すなわち、この高石垣は日の出を観測して農業の時期を知る、太陽信仰の祭祀場だったのではないでしょうか。
下の写真も日の出方向へ向いて撮影しています。太陽は一年中、写真の稜線から昇って来ます。
太陽の祭祀場ですから、鬼ノ城にある石垣のなかでも巨石を使って一番豪華な造りです。
神籠石遺跡が綿花の樹園の跡であることはこれまでも度々追究してきました。万葉歌にもありますし、
日本書紀にも風が吹くと綿が飛んで来たというような記述があります。綿の苗を植える時期は五月頃です。
そして、綿花は希少植物であり、企業秘密で植栽されていました。だから人里離れた山で栽培されました。
綿花が地域に多大な収益をもたらしたことは、大規模な集落遺跡(吉野ケ里遺跡と帯隈山神籠石など)の
近くには必ず神籠石遺跡があることからも綿花の収益が地域の発展に貢献していたことは一目瞭然です。
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