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石城山 神籠石 4 東門
いわきさん こうごいし



東門












東門跡地全景。

丘の上に見えている屋根は日本神社です。

日本神社は神道天行居(新興宗教)の宗教施設で、昭和四年の創建です。

石城山には神道天行居の末社として、

葦原神社、五十猛神社、天竜神社、盤山神社、石城島神社、があります。

ともすると、それらの末社に惑わされて古代史本来の神社を見失ってしまいそうです。


古代史に関係する神社は、

石城神社、高日神社、木花の佐久夜姫を祀る宇和奈利社、などです。





同じく東門跡地全景。

最近まで田畑に利用されていたので、本来の地形は失われています。

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東門跡地の最上段です。

茂っているので奥行きは見えませんが、相当に広いです。

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最上段から見おろした東門跡地。

かって、石材を田畑の石垣に利用されたらしく、大きな礎石しか残存していません。

湧水が流れています。

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北側の門礎石。

石の上が真っ平ですから、この石の上にさらに石積みがあって、

何段か積み重ねていたとすれば、南側の礎石と高さが合います。

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今も綺麗な水がサラサラと流れています。

年数の経過と共に溝の位置が移動しています。

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南側の門礎石。

こちらは積み重ねてあるのがよくわかります。

残存している南北の礎石をそのまま門とするには開口部が大き過ぎるように思います。

ただし、それも私が思うだけで、実際には巨大な門だった可能性もあります。

その根拠は万葉集にあり、『 ひむがしの 大き みかど 』という一節があります。

さらに、この東門は、ふもとの「からと水道」を航行する船からよく見える位置にあります。

そうしたことから、より大きく立派な構えにしていたのかもしれません。

大規模な発掘調査を期待したいところです。

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残存している石。

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水落を見ています。

ここには石垣があるのですが、神籠石の列石線は門礎石にありますから、

この石垣は(下写真)田畑に利用された石垣でしょう。






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東門からの列石線




神籠石の列石とは少し異なる石が道の脇に残っています。

三角形をしていますから、石祠の屋根の残片かなと思います。

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神籠石の列石線は私が指している所に露出しています。

拡大したのが下の写真です。




この列石線を引いてみますと、先ほどの門礎石とピタリ合います。

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以下、万葉歌のページで載せている説明です。

重複しますが、こちらにも載せておきます。





万葉集 巻第二 186番歌 関連写真と説明


一日には 千度参りし 東の 大き御門を 入りかてぬかも

ひとひには ちたびまゐりし ひむがしの おほきみかどを いりかてぬかも  





 歌の意味は、「一日に何度も出入りした東の大きい御門を、今は入ることも叶わない」という意味です。

御門 (みかど) には様々な当てはめ方があるようです。この186番歌では大きな門を言っています。

 その門とは宮殿などへの門ではなく、舎人達(歌人達)の日常の生活の思い出の場所に入る門なのです。

 その思い出の門が戦乱の破壊によって見る影も無くなっている、と解釈したらいいでしょう。

 ただ、戦乱がこの場所であったのではなく、戦後の破壊工作によって再起不能にされたようです。

その東の大きい御門は何処にあるのかは、今まで見て来た23首から導き出せます。




石城山には2つの門跡があり、東門、北門、と呼ばれています。

 沓石(くついし)のある北門はよく整備されているんですが、東門の方は私有地などが絡んでいるため、

 ほとんど放置された状態で現在に至っています。少し前までは竹薮で薄暗く、草も生い茂って、入るのもためらわれるような所でした。

 今は雑木や竹が伐採されて全貌が分かりやすくなりました。 歌は「東の大きい御門」と言っていますから、東門になります。

 写真は東門跡の広場です。門礎石が南と北に二ヶ所残っています。2つの門礎石を結んだラインは南側から見て北10度です。






 黄色のラインが門跡土手の形状です。

 ただ、西側には田地利用としての石垣が築いてあったり、

南北礎石の延長ラインが土に埋まっていたりしますから、

現状での土手の形状が古来からの形状とは思えません。




礎石の大きさ


南側礎石



 地表面からの高さです。




スケールで計測しました。風化などによって欠けた部分が多く、正確な寸法ではありません。







 昔は田地として使われていたらしく、石の下部が水垢で変色しています。

 土中から新たに露出した石は焼けたように真っ黒くなっている部分があります。





 礎石間の距離は 12・5メートルです。

 北側礎石は南側と比較して約1メートル程度落ち込んでいます。



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こんどは北側礎石を見ます。

北側礎石




青色の数字は地表面からの高さです。

 町史によると、高さ 1・18mとありますから、土中にまだこの高さ分位埋まっているようです。










青矢印の割れ目の風化量と、石の角の風化量が異なる。

 そもそも、近年まで土中にあった物が風化するはずがないのです。

赤矢印の横シマ模様は石を切断した時の痕だと思われます。



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段違い礎石のナゾを解明する




 北側の礎石と南側の礎石の中間には約1メートルの段差(高低差)があり、北側が低くなっています。

 なぜ北側の礎石が1メートル程度も低くなっているのか推察してみますと、

 現在残っている礎石は基底部の礎石であり、その上にまだ石積みがあった可能性があります。

 ではなぜ上の石積みが無くなったかと言うと、石城山中に散在する石垣です。

いつの時代にか上の石を割って田畑の石垣を築くために利用したと考えられます。

 そして、土中にあって残された基底部の石が水流によって土砂が流され露出した、と見ます。

 なお、基底部の石と決めた理由は、この石の下は岩盤になっているそうです。







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開口部の広さ




 礎石間の12・5mは異様なほどの大きな規模を持っています。

 なぜこれほど大きな門にする必要があったのかと推測してみますと、

この門は、からと水道を航行する船から見ますと、肉眼でよく見えます。

 ということは、航行する船への威圧を兼ねて、大きく見せていたと考えられます。


 さらに、2つの礎石の軸線は北10度の方向になっています (下の写真)。





北 10度から開口方位を出しますと、東 100度方位になります。

 その方位には琴石山があります。初代伊勢の山です。(下の写真参照)

 ということは、この門は「太陽の門」だったと考えられるのです。








 門跡に立って中側方向を見たもの。


以上の事から、万葉歌の186番歌は、廃墟になった石城山の東門跡で詠まれたと結論付けるものです。


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石城山・神籠石 5 柱穴のナゾ に続きます。





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