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侵攻の記録 足あとの神社群
第23番 高尾神社 光市大字小周防3579番地
参詣・撮影 2012年3月
家の向こう側を左から右方向へ川が流れています。
神殿裏手の丘は広場になっていて、小さな石祠が祀ってあります。
高尾神社 計測 2012年3月
北緯 34度01分22.6秒
東経 131度59分25.8秒
+− 6m
拝礼方位 52度
今回は二十万分の一地形図ですが、五万分の一でも分析予定です。
恩原遺跡 岡山県鏡野町上斎原恩原
旧石器時代(約二万二千年〜一万三千年前)の遺跡です。(今はダム建設によって水没したそうです)
石器時代や縄文時代の遺跡を拝礼している神社は幾つかありますが、それらの神社は古いものです。
現代の我々が崇拝しているのは神代の時代の人物(神)ですが、神代の時代にはそれ以前の神があったようです。
「神々は洞窟に宿り、洞窟から出て来た。」という語り伝えによる洞窟信仰であり、石器時代を彷彿とします。
九州方面にはその洞窟崇拝の跡と思われる横穴が多く見られます。洞窟そのものを崇めた原始信仰です。
洞窟の数ほど神々がいらっしゃるわけです。
因幡国庁跡 鳥取県鳥取市国府町大字中郷
梶山古墳(かじやまこふん) 鳥取県鳥取市国府町岡益
岡益の石堂(おかますのいしんどう) 同上
梶山古墳には朱を用いた彩色壁画があります。
岡益の石堂は安徳天皇陵参考地に指定されており、巨大な石塔を持っています。
方位線は兵庫県美方郡香美町の鎧(よろい)という名の港町を経て兄弟赤島(きょうだいあかじま)を指しています。
すぐ近くに有名な餘部橋梁(あまるべきょうりょう)がある所です(あまるべ鉄橋は2010年7月に終了)。
高尾神社の拝礼方位線はその後、大雑把ではありますが熊毛神社の右方位線とほぼ同じ線をたどります。
一応参考までに直線で引いていますが、実際には直線ではなく少しの曲線を描きながら進んで行きますが、
たぶん直線で引いていると思います。
次に高尾神社の前面方位線を見てみます。
九州に上陸した方位線は有名な青の洞門の近くを通ります。
そしてやがては日田市です。
ガランドヤ古墳 大分県日田市石井町
3基の古墳群です。その内の1号墳と2号墳は装飾古墳であり、壁画があります。
拝礼方位線にある梶山古墳と同じ装飾古墳です。
吹上遺跡(ふきあげいせき)は弥生時代の大規模集落遺跡です。
方位線の指している三の宮古墳も装飾古墳だったようです。
こうして見ると、この方位線は装飾古墳に重要な意味を持っているようです。
また三の宮古墳には武装石人が祀られています。
防長風土注進案には高尾山王権現とありまして、京都の山王権現から勧請したとあります。
そのあたり少々不可解な面があるのですが、地域名であり神社名でもある「たかお」というのは
「たかお神」の名だろうと思います。パソコンでは「お」の漢字が無いのでひらかなで失礼します。
日本書紀の神代上の第七の一書に「たかお神」の解説がありまして、一般的にはそれを基にしています。
その記述によりますと、「お」これを「於箇美(おかみ)」という。とありまして、高の部分が省略してある訳です。
そのあたり、日本書紀はかなりいい加減な記述が挟まっておりまして、古記録を基にした本当の記述と
書き加えた嘘の記述とが混在しておりまして、捨てるに捨てられない書物でもあります。
私がある宮司さんから聞いた話しによりますと、「たかお神」というのは戦(いくさ)の神であり、
ちょっと怖い神なんだと話してくださいました。この辺で代表的な「たかお神」は石城神社に祀ってあります。
その話しを基にしますと、方位線に登場する鎧(よろい)という地名や兄弟赤島(神武と五瀬の命を意味)
そして武装石人など、まさに戦の面持ちがあることに気付きます。
防長風土注進案の高尾神社の章には祭神の記述が無く、大般若経の記述が突出しています。
その背景には天台宗との関連性が見られ、大山咋神と大物主神は天台宗延暦寺の守護神とされています。
ところが、山口県風土誌では高尾神社の祭神の記述がありまして、大山津見命になっています。
アマテラス・イザナギ・イザナミ・オオヤマツミ・の四神が記載してあり、大山咋神も大物主神も、どちらもおられないわけです。
風土誌ではそのことについて触れてあり、「今旧社号、また伝説を以て考ふれば今の祭神に疑あり、猶(なお)よく考ふべし。」
とあります。
私としては、やはり方位線を尊重しないわけにはいきません。
かっては戦の神として恐れられた「たかお神」も今の時代としては、
○○戦と呼ばれるものすべてに於いて守護してくださる神でありましょう。
すなわちスポーツや選挙戦など、多くありますね。
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