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神籠石紀行
こうごいし
平成12年(2000年)に撮影した九州各地の神籠石です。
インカにも負けず劣らず、それが我が国の神籠石の実体です。
フイルム写真の時代なので写真が少し暗いですが、どうぞ。
福岡県・御所ヶ谷神籠石(ごしょがだに)
2000年に訪れた時、発掘中でした。
土の断面を見ると、約1メートル位の深さで埋もれていたのがわかります。
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福岡県・女山神籠石(ぞやま)
神籠石の列石群は、上がったり下がったりして地面の起伏に合わせています。
地面を整地せずに、石の接合面の切り角度の調整で連結していく工法です。
したがって、地面が起伏していても、石の隙間が開いていることは少ないです。
各地の神籠石もそうなっています。
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福岡県・高良山神籠石(こうらやま)
道路建設によって、土手の中腹に浮いた状態で列石が露出しています。
列石の上部と下部の整形具合を比較する際に役立ちます。
列石上部の高さは均一性を保っていますが、下部は不揃いです。
この場所を右方向に行った所に列石の裏側を見れる所がありました。
土砂が流出して列石だけが置き物のように残っている訳ですが、
それを見ると、石の裏側(奥側)は不揃いでした。
豪雨だったため、カメラが結露して写真を写せなくなってしまったのが残念です。
この山中に、3メートル×1メートル、奥行き約1メートルの大きな石を列石に使っている所がありました。
それも、歩くだけでもたいへんな山の斜面に正確に並べて連結しているのには驚かされます。
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福岡県・鹿毛馬神籠石・水門(かけのうま)
一応、「水門」と名付けられていますが、泉の池を形成している縁取り石です。
下の写真も同じ場所で、柵が立っている所です。
ご覧のように谷間にありまして、「水汲み場」といった面持ちです。
(余談)
この写真を撮影した時は、雨の山中を何キロも歩いた後だったため、
疲労でつい手持ち撮影をしてしまいました。帰ってフィルムを現像してみると・・・後の祭り。
これしかないので載せておきます。私の神籠石の旅は、いつも雨(泣笑)。
鹿毛馬神護石の谷間です。
列石は左右の山を廻っています。
画面中央に見えている柵囲いが先述した泉です。
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神籠石はナゾが多く、昔から諸説入り乱れて来ました。
ここでは昔、牧場の跡と推定されていた時期もあったようです。
私の研究した結果は、綿花栽培農園の跡地です。
後の時代に様々な再利用をされています。
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福岡県・女山神籠石。
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女山神籠石
列石上部の角には柵の横木を安定させる切り欠き溝が彫ってあります。
だいたい何処の神籠石も共通しています。
ただ、山口県石城山神籠石の場合いは、横木を置く角度のみを付けて、
引っかかりの役目をする立ち上がりがありません(下の写真)。
山口県・石城山神籠石(いわきさん)
列石上部には約20度の傾斜がつけてあります。
石城山神籠石の上部は約20度の傾斜をつけて平面になっています。
画面右上部分に滑り止めの引っかかりが無いため、柵の柱を立てると、
横木がズレて転倒しやすい欠点があります。
石城山神籠石の厚みを見ると、20センチしかない所もあります。
まるで石の屏風です。これだと、柵と一緒に石も転倒する危険性があります。
対する九州各地の神籠石はサイコロ状になっていて、厚みも重量もあります。
万が一、柵が転倒しても土台石はビクともしない造りです。
そうしたことを見ると、石城山神籠石は実用上、欠点だらけです。
欠点の意味しているところは、築造初期的段階の試行錯誤を
意味している古い神籠石だということになります。
なお、福岡県の雷山神籠石は両方含まれており、改良過程にあった神籠石です。
こうして改良過程を見れば、石城山から雷山へ伝播していることがわかります。
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女山神籠石
石が風化して少し見え難いかもしれませんが、ここは岩盤になっている所です。
岩盤に列石を接続させ、列石と同じ高さで切り欠き溝が入れてあります。
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御所ヶ谷神籠石
切り欠き溝も風化が著しく、消え入ってしまいそうな所もあります。
御所ヶ谷神籠石
ここは、かなりの急傾斜地を垂直方向に昇っています(下の写真参照)。
ここにも切り欠き溝が見えます。
石がサイコロ状に厚く、これなら柵が倒れても土台石はビクともしないことでしょう。
御所ヶ谷神籠石
ひとつ前の写真の場所を横方向から見たものです。
歩いて登るのも滑って難しいほどのかなりの急傾斜地です。
これを見ても、列石が土塁の土留めの役目をしていたという説は成り立ちません。
もし私がこんな山に土塁を築くとしたら、土を盛らずに、斜面の土を
削って城壁にします。そのほうが早くて簡単ですから。
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石城山神籠石
石城山最大の上昇角度は北水門東側で、列石は谷底から38度の角度で急上昇しています。
よくまあ、こんな急傾斜地に大きな石を組み込めたものだと感心します。
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御所ヶ谷神籠石
二段積みにして高さを合わせている所も見られます。
御所ヶ谷神籠石
切り欠き溝は至る所で見られます。
御所ヶ谷神籠石
ここを上に登って行きますと泉があります。
綿花栽培に必要な水をひいていたのです。
排水口を見れば、ここは、かって水汲み場だったことがわかります。
山中に忽然と現われる石積み遺跡。石積みの神秘的な美しさに圧倒されます。
一見築造途中で放棄したようにも見えますが、侵略による破壊です。
相当に破壊されています。その破壊と神武遠征とが一致します。
石の風化具合を見ても半端な古さではないです。紀元前でしょう。
同じく御所ヶ谷神籠石
水汲み場です。
インカ遺跡を連想させるようなジグソーパズルの石組みも多く見られます。
御所ヶ谷神籠石
人の背丈以上もある巨石をまるでダイコンを切るようにスパッと切っています。
切り口を見ても、タガネの類は使っていません。
石切り鋸でもあったのでしょうか?。
あたかも現代の我々に見せつけるがごとしです。
御所ヶ谷神籠石
高さ約1メートル位の石です。
御所ヶ谷神籠石
わずかに破壊をまぬがれて残っている石積みも風化が著しく、丸くなっています。
この石積みはおそらくバラバラになっていた石を拾い集めて、ふたたび積んだのだろうと推測します。
御所ヶ谷神籠石
山頂にあった建物跡の礎石。 由来は不明です。
画面には入っていませんが右手に下の写真の景行神社があり、この礎石を拝礼する形になっています。
そうしたことを見ると、この礎石の上に在った建物はずっと昔に破壊され、それからは何も存在していなかったのでしょう。
真ん中の石祠が雄弁に物語っており、礎石自体が神聖化されています。
神籠石の神域説は、こんなところから発生したのかもしれません。
御所ヶ谷・景行神社。
この社殿の裏手に先述した礎石群があります。
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女山神護石
神籠石の中に築いてある古墳です。
画面に見えている列石が神籠石です。
この小丘を向こう側から見たのが下の写真です。
女山、山内古墳。
女山は古墳が多く、標高150メートルの尾根上に14基の円墳があります。
女山神護石の列石外側にある相撲場古墳。
先ほどの山内古墳群は列石の内側にありましたが、
この相撲場古墳群は列石の外側にあります。
神籠石・墓地説はこういうところから発生したのでしょう。
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高良山神籠石
縦石は一本のものと、二本のものの二種類があります。
インカ遺跡にも同じ石組みがあったと思います。
2000年に訪れた時、この写真の辺りは、かなり崩れがひどく、
崩れるにまかせてあるような状態でした。
石の風化具合から見て、紀元前は間違いないと思います。
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石城山神籠石
石城山神籠石のなかで最も長い石は東側にある2メートル30センチの石です。
そこは「加良怒水道」を航行する船からよく見える位置です。
高良山の3メートルには及びませんが、それでもかなり長い石です。
この辺りの列石は接合面が不規則ですが、隙間は開いていません。
これは加工しながら隣りの石に合わせて繋いでいく方法です。
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石城山神籠石にある柱穴。右上の四角い穴がそれ。
穴と穴との間隔は、3メートル90センチ〜4メートル。
この写真では、三脚を立てている所に次の穴があります。
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石城山神籠石にある柱穴の拡大写真。
この柱穴は列石群の北東から東側にだけしか見られません。
もし、柱なら列石の全域に見られるはずです。
ところが意に反して北東〜東側だけにしか見られません。
石城山の南東側のふもとを大波野(おおはの)と言い、唐戸水道の八幡の瀬戸があります。
そこから北に向かって上陸すると、佐田丘陵への登り道になるわけですが、
この柱穴は位置的に八幡から佐田への道中でよく見える位置になります。
そうすると、この柱穴は、旗を立てる柱穴ではなかろうかと推測されて来るわけです。
現状では、列石が土中に埋もれていたり、石垣の下に潜っていたりして、穴の数は不明です。
もし、八つ以上の穴を発見できれば、八幡の語源に迫っていくことでしょう。
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今回登場した神籠石遺跡の場所 (あいうえお順)
石城山神籠石・・・・・山口県光市、旧大和町、合併により光市
帯隈山神籠石・・・・・佐賀県佐賀市久保泉町
鹿毛馬神籠石・・・・・福岡県嘉穂郡頴田町
高良山神籠石・・・・・福岡県久留米市御井町
御所ヶ谷神籠石・・・・福岡県行橋市稗田
女山神籠石・・・・・・・福岡県山門郡瀬高町
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神籠石余談
九州佐賀県にある帯隈山神籠石に行った時も雨でした。
それも、暴風雨と言えるほどの風と雨に天をにらむしか術も無く、雨カッパを着込み、歩きました。
帯隈山神籠石は、有名な吉野ヶ里遺跡の近くにあります。
吉野ヶ里は華やかな脚光を浴びているのに対し、帯隈山神籠石は半ば見捨てられているような遺跡です。
吉野ヶ里が栄えた理由の影に帯隈山神籠石遺跡があることを思い起こしたいものです。
さて、お見せしたい帯隈山の写真ですが、帰って現像してみると (フイルム時代)、
どうも暴風雨で結露したらしく、見事に白曇りになっていました。
平成12年(2000年)のこと。 また訪ねてみたい所です。
こんどは絶対に快晴を信じて・・・。
前文でも触れましたが、神籠石遺跡は綿花の農園の跡です。
そうしたことは、記紀にも万葉集にも記してあります。
問題の年代設定ですが、神武以前の遺跡である、と申し上げておきます。
紀元前は間違いないと思います。
相手が石だからわかりませんが、とにかく古い遺跡なんです。
日本人って、どうしてわざわざ古い遺跡を新しくするんでしょうか?
「神籠石紀行」これからも追加していくつもりです。
女山神籠石遺跡にて。
バイク用のレインウエア上下にコンビニカッパの重ね着。
この日も、豪雨と言えるほどの雨が降りました。平成12年(2000年)
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2000年に訪ね歩いた時の記録帳です。(内部リンク)
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私が綿花栽培をしてみた結果です。(内部リンク)
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