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深田古墳 田布施町
西側から見た写真です。
北の方向に石城山があります。
こんどは南側から見た写真です。
少しずつ視線を西の方向に移動してみます。
古墳のすぐ横を山陽本線が通っています。電車から見えますよ。
画面右手方向にすぐ田布施駅があります。駅から歩いて10分位の所です。
西の方向の風景です。
深田古墳と竹部稲荷山古墳とは隣り合わせになっています。
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竹部稲荷山古墳 田布施町
この古墳は小円墳だと考えられてきましたが、私が見た限りでは巨大な前方後円墳です。
前方後円墳だと推定される部分をたくさん撮影してみました。
古墳への入り口は、丘の(鳥居の)向こう側にあります。
鳥居が見える所が墳丘への昇り口です。
この路地を登って行きます。下の図、赤い矢印が撮影地点と撮影方向です。
路地を登って行くと、すぐに墳丘になります。
上の画面は後円部と前方部の接点を横から見た写真です。
画面左側が後円部の墳丘、画面右側へ前方部が伸びています。
下の図、赤い矢印が撮影地点と撮影方向です。
路地から見た前方部です。
畑に使うため多少広げられているようです。
下の図、赤い矢印が撮影地点と撮影方向です。
前方部に立って後円部の墳丘を見た写真です。
鳥居をくぐって約30歩少々昇ると墳丘上になり、小さな古墳があります。
下の図、赤い矢印が撮影地点と撮影方向です。
鳥居の方位は古墳の芯線とほぼ同じですが、目測芯線と比較すると約10〜15度の差異があります。
そもそも前方部の形状が多少削られているため、芯線が出しづらい面があります。
鳥居の所から約30歩で境内になります。墳丘の頂上は画面の右上辺りになります。
今までは、ここだけ見て小円墳としていたようです。
下の図、赤い矢印が撮影地点と撮影方向です。
入り口の高さは約1メートル程度です。
これだけ見ると、使っている石も石垣程度のほんとに小さな古墳です。
推測するに本来は丘の頂上で竪穴式だったものを、改葬された後で神社として
この穴祠堂が築造された可能性があります。神社として築造されたんです。
全体像から見て古墳ではあるけれども、この穴には埋葬されてはいないと思います。
境内から見おろした写真です。境内の周囲は雑木に遮られています。
下の図、赤い矢印が撮影地点と撮影方向です。
前方部の幅は現状で普通に歩いて約20歩少々でした。私は少し足が長いですから。^^。
下の図、赤い矢印が撮影地点と撮影方向です。
前方部の右側は畑に広げられたようです。
下の図、赤い矢印が撮影地点と撮影方向です。
前方部の左側の形状は比較的良く残っていると思います。
画面の左端の道路に小さく車が見えますが、あそこが最初の写真の撮影地点です。
下の図、赤い矢印が撮影地点と撮影方向です。
前方部の先端です。高さ1メートル程度の段差になって畑になっています。
鳥居の所からここまで普通に歩いて約百歩以上ありました。いかに巨大か、おわかりいただけると思います。
遠方の山(丘)は巨大な涅槃像なんですが、海風想ではまだ掲載していません。^^。
そもそも涅槃像と証明するにはよほど明確なものがないと笑い話しで済まされてしまいますから・・・。
この古墳が前方後円墳だと証明すれば、おのずと涅槃像も浮かび上がります。
画面中央の横方向に走っている土手は山陽本線です。
下の図、赤い矢印が撮影地点と撮影方向です。
前方部先端の土手です。
下の図、赤い矢印が撮影地点と撮影方向です。
前方部の先端から後円部方向を見た写真です。
向こうのこんもりした森が後円部です。
下の図、赤い矢印が撮影地点と撮影方向です。
下の図、赤い矢印が撮影地点と撮影方向です。
下の図、赤い矢印が撮影地点と撮影方向です。
墳丘の西側ふもとには小川が流れています。
下の図、赤い矢印が撮影地点と撮影方向です。
見て歩いた丘の輪郭を出してみますと、巨大な前方後円墳が浮かびあがりました。
もし本当に前方後円墳であるなら、近隣で最大の規模を持つ古墳であることになります。
稲荷社が祀られていることから見て、女性の墳墓でしょうね。
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