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 鮎原剣神社   岩国市周東町川上78番地        

 北緯 34度06分42.6秒     
 東経 132度02分46.9秒     
 +− 4m       

 本殿方位分析    奥社方位分析      

 参詣撮影・2012年3月  



 青矢印の所に下写真の道標があります。   
 こちらから行くと右折して入って行きます。







 道標の所から数百メートル入ると道路脇に丸い石橋があります。
 車の駐車場はここからさらに奥に進んで小さな橋を渡ってすぐに右折です。  
 境内が広い駐車場になっています。





 私は「きゅうすうばし」と読んでいたのですが、読者のご指摘で「きゅうそうばし」と読むそうです。
 精密な石組み技術に惚れぼれします。    



 「きゅうそうばし」の上から下流方向を見たものです。    




 「きゅうそうばし」の上から境内を見渡したものです。    







 この辺りから見るとハシゴのごとき急傾斜の石段がよくわかります。   




 岩国領に詳しい玖珂郡志という古記録にはこうあります。

 (前文略)〜往古は御本宮の御山の麓にあり。石の韓櫃の内、曲物一つ。其の内に剣二つ絹に包みたる物あり。(以下略す)

 御山の麓とは「奥社」のある所ではないかと直感しました(奥社は後述します)。由来では毛利と吉川が絡んでいます。     







 石段に向かって左側は庭園になっていて、小さな稲荷社が祀ってあります。
 右上の土手の上が本殿境内です。    




 石段の下に立ってみると、その傾斜度の凄さに圧倒されます。
 まるで石のハシゴです。
 急傾斜の石段ということでは相の浦賀茂神社とよく似ています。
 なお、石段を登りたくないかたは参道の右手にゆるやかな坂道があります。   




 石段の中腹から見おろした写真です。
 あまりの凄さに傾斜角度を測りそこねてしまいました。   
 初めて参詣されるかたは軍手か何か手袋を着用して昇られるといいと思います。    




 石段を登って境内に上がりました。






 上2枚・拝礼殿






 上2枚・神殿    




 鮎原剣神社の境内全体図です。
 こうして図にしてみますと、もとは前方後円墳だったのではないかと推察されます。
 もと古墳の可能性を表している物として駐車場脇の稲荷社があります。
 例えますと、田布施町の国森古墳や石走古墳などは墳丘を指し示す形で小祠堂があります。
 国森古墳の祠堂は拝礼方向に国森古墳があり、石走古墳の祠堂は前面方向に石走古墳があります。  
 そうした例を合わせて推察しますと、ここの稲荷社も同じ形態を持っていたのではないかと思われます。  
 また、前方後円墳の形をしていながら実は鳥の頭を形造った物もあります(例・小国賀茂神社の境内)。   
 鳥の頭の場合は丘を指し示す祠堂はありません。  
 そうして鮎原剣神社の記録を見ますと、先に載せた石櫃に納めてあったという剣の由来がありますから
 それこそ元が古墳だった可能性を如実に表しているものです。
 なお前方部は215度方向へ向いています。南西くらいです。   

 では神殿の裏手に廻ってみましょう。ふたたび参道が伸びています。   



 神殿の裏手にある鳥居です。この鳥居からは奥社への参道になります。




 慶応年中(1865〜1868)建立の鳥居です。 




 鳥居をくぐるとふたたび参道が伸びています。



 本殿の脇から普通に歩いて約百歩の所に奥社があります。 
 ここは前方部の付け根の位置になります。  








 奥社から本殿の方を見たものです。
 参道の両脇が土手になっているのがわかると思います。
 もしここが前方後円墳だったとしたら、現状では少し幅が狭い感じもしますが、
 永い歳月によって両脇の表土が流失したと考えれば自然なことです。



 同じく奥社境内から本殿の方を見たもの。




 前方部に相当する参道は岩盤です。
 表土が流失して岩盤が露出したようです。


  本殿方位分析    奥社方位分析      



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