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呉麓山
293、8m

呉麓山の呼び方は様々ありまして、
「くれろくさん」「くれろくやま」「ごーろくさん」「ごーろくやま」・・・その他あります。
人によって呼び方が様々です。

呉麓山の重要な点は初代岩戸であることです。からと水道を真ん中に置いて、東に琴石山の伊勢があり、
西に呉麓山の岩戸があります。すなわち、伊勢は日の出を司り、岩戸は日の入りを司っています。
そして、初代を拡大したものが現在の三重県の伊勢であり、宮崎県の岩戸であるのです。

古代の岩戸は何処に在ったのだろうと探って行きますと、呉麓山の頂上にたどり着きます。
その頂上が何らかの形態を有した神域であったことは、周辺の鬼門守護神を探り出せば
導き出すことができます。しかし、現状の鬼門方位は風水を基にしてあり、
風水を使ったのでは導き出せません。

そもそも陰陽道とは日本独自のものであり、その名の通り陰と陽、磁石の指針を陰陽と呼び、
磁石の指す方位によって、占いや、まじないをしたものです。

日本古来の鬼門方位は一般の風水とは少し異なり、「南南西」と「北北東」です。
そしてその方位だったことを照明しているものとして、こうした大きな物を真ん中にして、
鬼門守護神はその日本古来の鬼門方位線上に延々と連なっていくことから照明されます。

そうした訳で、日本古来の鬼門守護の形態を有す社寺は相当な年歴を重ねていることになります。
千数百年〜二千年、またはそれ以上の歴史を持っているかもしれません。
さらには現状の風水は逆輸入されたものではないか?という疑問点が出て来ます。




北東側の川西妙見宮方面から登るのが現在のルートですが、
私はこの時、南側のルートを選びました(使われていないルート)。
上の写真は南側ルートの途中から仰ぐ山頂です。





南側ルートの中腹にて。





南側ルートの中腹にて。
使われないルートなので、道無き道です。





南側ルートの中腹にて光市(虹ヶ浜)方向を望む。





頂上に着きました。

 頂上はクロス十字の西側が無いT字形になっており、
 各尾根は正確に東南北を指しています。





 (以下、登頂した時のメモより部分抜粋したものです)

 山頂の広さ 大幅歩きで東西に10歩、南北に15歩。
 東・南・北に人工的に削り取って形にしたと思われる出っ張り(尾根)がある。
 出っ張り部分は相当に浸食されている。
 出っ張りの方位は東南北に正確。西側は深い谷になっており、無い。
 からと水道のほぼ全域を見渡せる。
 馬島より西側は千坊の峰が横に広がっているため海は見えない。
 光市の虹ヶ浜の辺りがよく見える。
 北の少し西寄りに岩戸八幡宮。
 東北東に石城山。
 東丁度に赤子山(阿児山)。
 西丁度に笠戸島。
 北北東に三輪神社。
 南東に大星山。





頂上から東を望む。 矢印の山が「波野スフィンクス」です。
この呉麓山も熊の形をして「岩戸スフィンクス」ですから、2頭が並んでいます。





視界360度の絶景に感動しっ放しでした。
今は植林されたヒノキが成長して展望は望めません。





東北東の方向。矢印の山が石城山です。






頂上から西の方向。光市の虹ヶ浜方向を見たものです。
うっすらと見える横長の島は笠戸島です。






頂上から南方向の千坊山・大峰山を望む。遠方のなだらかな稜線の山です。
古代仏教で栄えた山であり、寺院や坊舎の瓦が多く出土しています。






頂上から見た東を指している尾根です。
下の写真はズームアップしたものです。





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頂上から見た南を指す尾根です。
下の写真も同じく。



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頂上から北北西の方向を見たものです。
岩戸八幡宮の周辺は弥生遺跡でもあります。
並びの冠念寺と合わせて真上から見たものを図にすると、
「ナスカの地上絵」とそっくりな鳥の絵が浮かび上がります。
木の実を口ばしにくわえた鳥の地上絵です。
周辺の地名を「溝呂井(みぞろい)」と言うことからも偶然にできた絵ではなく、
太古に地上絵として描かれたものであることを地名が証明しています。



航空写真では木が茂っているためわからないと思います。
もし、木が無かったら、上空からくっきりと見えることでしよう。






頂上から北北東の方向に見える三輪神社です。
この山は「コンピラ山」と呼ばれていますが、見る地点によって
鳥の頭の形をして、前方後円墳のようなイメージがあります。

この造りは波野スフィンクスの頭部を研究する時に共通性があります。
白い縦線に見えるのが参道です。頂上に社殿の屋根が見えています。


熊毛郡塩田村風土記 十五
熊毛郡之内道前美和之庄 塩田村

當村近郷道前美和之庄之内、嶋前は大嶋郡之前に當り
其故を以て嶋前と云しとかや、大嶋郡之後ろ豫州之内
道後と申所有之、嶋前嶋後を今誤て道の字に書けるか(以下略)


道後・・・エジプトピラミッド壁画文章にある「ドウアト」の地です。



(この写真のみデジタル撮影です)
頂上に携帯電話などのアンテナが立たないことを祈ります。





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