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 白鳥の連鎖  第1回  

 伊陸・大諏訪神社(いかち・おおすわじんじゃ)   



 ヤマトタケル伝説の起こりでもある大碓小碓兄弟は、この伊陸が発端であることは第1巻でも説明しました。
 つまり、神武遠征に登場している「ウカシ兄弟」こそが「大碓小碓兄弟」でもあります。
 伊陸にはいつも氷室岳があり、その名の通りに「氷」に関係しています。氷を水に浮かす(ウカシ)わけです。
 写真は伊陸平野から氷室岳方向を見たものです。右側の一番高い山が氷室岳です。
 氷室岳は「コマイヌ」の形をしていますが、同じ形の山が親子(兄弟?)で2つ並んでいます。
 2つの同じ形の山があることは、後述するすべての場所に共通していることです。

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 伊陸地域で主要な神社は「氷室亀山神社」と「こんこん神社」、そして「大諏訪神社(おおすわじんじゃ)」です。
 大諏訪神社を地元では「おおすわさぁ」と呼んで親しまれています。
 上の写真は伊陸平野から大諏訪神社の方向を見たものです。
 伊陸平野を中心にしますと、氷室岳は北側に在り、大諏訪神社は西側に在ります。

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 今回は諏訪神社と「ウカシ兄弟」の関連性について見ていくことにしましょう。
 上の写真は大諏訪神社に行く途中の道です。
 昔からの狭い道です。車での参詣にはご注意ください。

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 大諏訪神社に行く途中で振り返って伊陸平野を眺めてみました。

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 大諏訪神社境内です。

 諏訪神社と言えば、長野県の上下諏訪大社です。
 信仰の歴史では、鎌倉時代以降から諏訪大社の信仰が多くなります。
 諏訪の神を祀る分社は全国に1万余社もあると言われています。

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 なぜ、この大諏訪神社が「ウカシ兄弟」と関連してくるのかと申しますと、諏訪神社は上下で2社あります。

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 この大諏訪神社の由来を記録している書物として、
 古い書物から順に「古村記」・「享保増補・村記」・「玖珂郡志」などがあります。
 しかし、伊陸と、日積(後述)とで混在しているらしく、
 「おおすわ」という名称が記録には見えません。
 「おおすわ大明神」でなくてはならないものを記録されていないわけです。
 削除されてしまったのかな?と思ったりもします。
 そうした事でも両社を合わせて考察することが必要になります。
 上下の2社です。

 では、それぞれの書物から順に抜粋してみます。

 「古村記」より
 塩田地に諏訪大明神ノ社アリ。七月七日ニ祭之。

 「享保増補・村記」より
 諏訪大明神社 諏訪の谷にあり。 祭日・四月廿七日・七月廿七日 
 昔は大社なりしに、いつしか破壊して、今は小社なり。
 杉原に大松一本あり。是、諏訪の鳥居松と称せり。
 歯を痛むもの、鎌を寄進して平癒を祈れば、その霊験速やか也とて、皆人信仰せる神なり。

 「玖珂郡志」より
 諏訪大明神。塩田地。武身南方命(建御名方命)。
 小畑、作能田ノ水上、諏訪ノ谷にあり。
 先年、白鹿、彼の地に来たりしを草苅者、鎌を以って切り殺し、其の後、諸人に祟り有る由。
 諏訪を勧請して鎮まりたまふ。祭り治める日、切り殺したる鎌をさし上げ候へば、無難に守護し座す也。
 今に鎌を上げて祈願すれば何事も相叶う。別て牙歯の痛みを除きたまふ。
 御神体に、右切り殺したる鹿の両角を祭る。祭日四月廿七日・七月廿七日。
 石鳥居。松原に鳥居松とて年ふりたる大樹あり。棟札正徳六年也。

 玖珂郡志・欄外朱文字記入より
 山吹の滝。
 昔年、当十六滝の辺へ白斑竜集を蒭蕘(「すうじょう」と読み、草刈りや木こりをいう。)鎌にて刑殺。後諸人祟。
 白鹿の両角(角の文字に現存しない文字を使ってある。「両触り」かも?)を御供。
 湖水両池あり。水面廿一歩、深さニ尺八寸。
 両湖、今、濁流連綿と変わること無く浄水誦出る。
 御社より二百八十間東の方。
 ダイモ、大門也。   七尾七谷。   

     

    上の写真現地調査中のため関連性はありません。結果次第で掲載予定。
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 大諏訪神社・礼拝殿。
 中に鹿の角が祭ってあります。

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 大諏訪神社・神殿。


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 大諏訪神社・方位線通過地点   

 拝礼方向 ⇒ 光市・島田川(和田) ⇒ くしがはま・鳥越 ⇒ 周南市・黒髪島 ⇒ 秋穂 ⇒ 小野田市・鳥越 ⇒ 下関・四王司山 ⇒ 北九州・白島・ハンドー島  

 社殿前面方向 ⇒ 伊陸・こんこん神社(山) ⇒ 伊陸・明泉寺 ⇒ 大将軍山・霧峯神社 ⇒ 鹿島沖の白石 ⇒ 愛媛県・今治 ⇒ 香川県・三好(三好・三野・三加茂など「三」多し) ⇒ 徳島 ⇒ 紀伊半島・尾鷲 ⇒ 三宅島   

 社殿に向かって右方向 ⇒ 祖生岩隈八幡宮 ⇒ 玖珂岩隈八幡宮 ⇒ 錦川の行波付近 ⇒ 浜田・三階山   

 社殿に向かって左方向 ⇒ 柳井市・黒杭 ⇒ 柳井市新庄・宮ノ下(般若姫に関連・推古天皇) ⇒ 新庄・土穂石八幡宮 ⇒ 大野・阿曾社 ⇒ 大野・松蓮寺・巨石彫刻群(現・神護寺) ⇒ 長島・奈古屋崎 ⇒ 愛媛県佐田岬・三崎灘  


 解析
 拝礼方向の「ハンドー島」の名は英語のハンド(手)を意味し、
 神武東征に登場する五瀬命(いつせのみこと)を表わしています。
 ハンド(手)が出てくることにより、大諏訪神社(伊陸地域)が神武侵攻地点であったことを物語っています。 

 前面・右・左の方向は「三」の数字が中心になっています。それは三女神を表わし、女神です。
 なぜ三女神なのかという意味は日積諏訪神社(後述)と連係しています。        
 三の数字は三宅島まで及んでおり、現代に匹敵するほどの正確な地図があったことを証明しています。
 また、初代ヤマトの交流圏は三宅島までにも及んでいたことを証明しています。  


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 伊陸平野にて東の方向を望む。これは今から進む方向です。
 氷室岳のコマイヌも同じく進む方向を向いています。

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 では、次に小国の茶臼山古墳に立ち寄ってみます。

 第一巻で小国茶臼山古墳は「ウカシ兄弟」の陵墓跡であると解きました。
 2009-12/1 写真等を多く追加しました。道案内もしてあります。  




 今回、初公開です。
 山の形をよ〜く見てください。

 ぐんと引き寄せてみます。下の写真です。



 この写真は小国茶臼山古墳(城山とも)の参道から撮影したものです。(第一巻で道案内・車をとめた所です) 
 手前側にも少し小さい山があり、親子(兄弟?)です。
 伊陸とそっくりな形態です。伊陸ではコマイヌでしたが、
 こちらはどうも、鳥の頭みたいになっています。

 これこそ「白鳥」の発端でありましょう。
 「ヤマト」は「山跡」でもあるのですから。


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 では次の目的地である日積の諏訪神社に行ってみましょう。



 柳井市諏訪・諏訪神社  

 



 柳井市諏訪の風景。
 鍛冶屋原とか道・川などの地名が残っています。

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 神武東征(遠征)物語では、「忍坂の大室(オサカノオオムロ)」で登場します。
 忍坂の大室については、この地域の古記録に通称「コウモリの窟」というのが有りまして、
 そこが物語に登場する大室(オオムロ)であろうと考えられます。
 伊陸の氷室と合わせますと、忍坂の大室とは、海路で運ばれて来た氷を
 伊陸の氷室に入れるまで一時的に貯蔵しておく洞窟だったのでしょう。
 神武東征(遠征)では、そこを攻撃された訳です。

 神武東征は第一巻で解きましたので、このページではヤマトタケルの白鳥の連鎖を中心に進みます。 

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       柳井市諏訪の風景。
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 鍛冶屋原遺跡
 柳井市大字日積鍛冶屋原
 標高約100メートルの鍛冶屋原一帯の台地に、中世の鍛冶滓(さい・スラグ)が広範囲に、
 しかも濃密に分布する。

 柳井市史より抜粋  

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   柳井市諏訪の風景。




 柳井市諏訪の風景。 諏訪神社のお旅所。


        

          柳井市諏訪の風景。 諏訪神社への道。




 日積・諏訪神社。
 向こう側に並びで浄土宗・正行寺があります。




 日積・諏訪神社。








 日積・諏訪神社・礼拝殿。


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 諏訪神社 方位線通過地点   

 拝礼方向 ⇒ 日積大里の大帯姫八幡宮 ⇒ 由宇・常楽寺 ⇒ 火打岩 ⇒ 岩国市・椎尾八幡宮・及び南西側の寺院群 ⇒ 調査中  


 前面方向 ⇒ 大神宮 ⇒ 笠佐島 ⇒ 相の浦・黒崎 ⇒ 室津の千葉崎 ⇒ 八島   

 社殿に向かって右方向 ⇒ 愛媛県松山市中島の「寺」という地名     

 社殿に向かって左方向 ⇒ 忍道の教徳寺 ⇒ 柳井市黒杭 ⇒ 東畑の教円寺 ⇒ 佐田八幡宮 ⇒ 佐田の正讃寺 ⇒ 小倉の光照寺 ⇒ 束荷(つかり)の来迎寺 ⇒ 光市立野 ⇒ 三井 ⇒ 烏帽子岳頂上(妙見社) ⇒ 下松市西豊井の正福寺 ⇒ 周南市大島の月星神社 ⇒ 黒髪島 ⇒ 大津島 ⇒ 防府市江泊の神社 ⇒ 秋穂二島大里の楽泰寺 ⇒ 深溝の宝松寺 ⇒ 佐山西の河内神社 ⇒ 木田の極楽寺・及び日吉神社 ⇒ 下関市黒島・蓋井島の賢女ノ鼻   


 解析
 方位線より250メートル圏内の社寺は入れました。
 本命は大帯姫八幡宮と佐田八幡宮であり、それは三女神を意味しています。

 また、椎尾八幡宮は大陸からの侵攻が始まった地点である土井ヶ浜遺跡を追悼していることにより、
 この諏訪神社(諏訪地域)は伊陸からの繋がりであり、神武侵攻地点に入ることになります(忍坂の大室の章)。

 この諏訪神社の方位線は先ほどの大諏訪神社と合わせの主張が込められており、  
 その主張とは、ヤマトタケルの物語に歌として入れてあります。
 特に重要な歌として、物語中の一節、『この四歌は皆その(天皇の)御葬(みはぶり)に歌うなり』とある四首の歌が
 敵討ちの結末を語っています。


 神武暗殺(敵討ち)は女性がしたことにより、三女神もまたヤマトタケル(英雄)としてあります。  
 しかし、暗殺は後に敵方に薄々知られたらしく、暗殺が暗殺を招きます。   
 だからこそ海上の大寺だったのです。(大諏訪神社の方位線・参照)   


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 日積諏訪神社     



 日積諏訪神社     

 伊陸と日積の諏訪神社の前面方向はどちらも初代伊勢に連係しており、
 伊陸の大諏訪神社は大将軍山の頂上にある霧峯神社を指し、
 この日積諏訪神社は大神宮(祭神・アマテラス)と笠佐島を指しています。
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 日積・諏訪神社から撮影したものです。
 ここにも鳥の頭形の山があります。
 拡大したのが下の写真です。



 手前側の山は大きくて全体がわかりませんが、同じ形をしています。
 ここまで伊陸からずっと親子(兄弟?)の山が一緒です。
 伊陸からここまで鳥(イヌ)の向いている方向に進んで来ました。


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 浄土宗・正行寺・山門。
 画面には入っていませんが、左側に並びで日積・諏訪神社があります。
 佐賀・白鳥神社と同じ形態です。




 浄土宗・正行寺。





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