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古代の綿花・試験栽培・2015年


西日本の各地に散在している神籠石遺跡を古代の綿花農園跡であると位置付け、それを立証

するためにこのページを開設しています。ひいては無農薬綿花栽培のお役に立てれば光栄です。


今回のトップ写真は山口県の石城山(いわきさん)神籠石(こうごいし)遺跡です。

神籠石遺跡は標高数百メートル程度の丘状の山の中腹を列石が鉢巻状に取り巻いています。

そのことから、現在は山城の跡だとして推定されています。築いてある列石も大小さまざまで、

大きい石は1個が3mを超える物から、小さい石は片手で押すと動いてしまうような石もあります。

石の規模としても、場所的に見ても、山城とするには証明に苦しい所が大多数を占めています。




石城山、北門からの昇り。 遊歩道の右側を列石が急上昇しています。

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このホームページでは様々な古記録や万葉歌などから、神籠石遺跡は綿花の栽培農園の跡だと

位置付けました。築造当初は綿花農園として存在し、後にその跡は様々に再利用をされています。


しかし、綿の栽培なら、なぜ山でなくてはならなかったのか、という事に多少の疑問点がありました。

もしや綿の価値を安定させるため、極秘で栽培されていたのかもしれないと考えていました。

しかし、もしそうなら、なにも不便な山の上でなくとも、平地で厳重に囲いをして栽培すれば

済むことではないかと疑問に思いました。








石の高さは地上で約40〜50cm。各地の遺跡もおよそ同じ高さ。横方向の長さは様々あり。




石城山の場合、石の厚さは 20〜30cm。 これは各地の遺跡によって様々あり。

石城山の場合、立て屏風のような感じで、人が揺さぶると倒れてしまうようなのもある。

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なぜ、丘状の山の上で栽培する必要があったのか。

率直に申しますと、害虫対策のためだったのです。

棉の害虫の多くは土の中でサナギになって越冬します。

暖かくなると土から出て、棉を登り、葉を食い荒らします。

それらの害虫を駆除するには、サナギになって土の中にいる間に

土の表面を約十センチ程度削り取って捨てればいいのです。


しかし、土を削り取る方法は平地では穴になってしまうので削りようがありません。

丘の上なら、削り取った土は谷へ捨てれば解決します。

実際に私が新しい土を使って栽培してみたところ、害虫はほとんど付きませんでした。

地面から登って来る害虫がほとんどで、飛来して産卵したと思われる害虫は少数でした。



では、丘の八合目付近を鉢巻き状に巻いている列石は何なのか。

それは害獣除けのためです。

防護柵を立てても、畑を荒らす害獣の多くは地面に穴を掘って通路にしてしまいます。

害獣の通路を作らせないために柵の下に石を埋め込んで遮断したのです。

だから立て屏風のような石が連結してあります。



石城山神籠石の詳しい説明はこちら (内部リンク)



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2015年・試験栽培



栽培方法は現代の方法ではなく、農薬も肥料も乏しかったであろう古代の栽培を下地に置いて、

きわめて山に近い環境で育ててみました。 そうすると次々に見えて来た事が多くあります。

綿花の無農薬栽培を志す方には多少の参考になるかと思います。



栽培するに於いて、古代の環境に近づけるために、肥料や農薬は一切使わないこととしました。

綿はアルカリ性の土壌を好むために現代は土に石灰を混ぜて種蒔きをしますが、それもしません。

肥料は古代といえども鶏糞ぐらいはあったでしょうから、鶏糞のみにとどめることにしました。


使う土は、休耕田と、植木鉢に使う栄養豊富な土、そして建築資材用の山砂、

さらに石ガラを多く含む土、の4種類の土にしました。


綿の品種は様々にありますが、古代に近い品種を選ぶという意味で原種の種を取り寄せました。




原種の種。

付着している綿毛が薄茶色をしているのが特徴です。



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田の土での試験栽培。




田の土そのままへ種を直播きしました。

箸を立てて種の位置をわかるようにしておきました。

水は朝夕の2回ほど多めにやりました。


結果を先に言いますと、これは全然ダメでした。

何がダメかと申しますと、綿の収穫量がまるっきり少ないのです。


それは土の問題であり、長年に渡って田畑で使ってきた土だからです。

長年、田畑で使ってきた土を、ここでは仮に継続土と呼びます。

継続土の土中には害虫が多く潜んでおり、除虫剤などの農薬を必要とします。

古代の無農薬栽培には不向きです。

それを暗示しているかのごとく葉は害虫に食われてボロボロになりました。


また、石灰を用いて土を強制的にアルカリ性に変える現代の農法は古代には通用しません。

そうした訳で、肥料や農薬の乏しかった古代の栽培に平地の継続土は不向きだと確認しました。


ちなみに下の写真は綿の収穫量の証明に撮影したものです。

田の土に蒔いた物は、この 1本の木で、綿が 2玉しか採れませんでした。

少なくとも 1本の木で 10玉は欲しいところです。






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栄養豊富な土での試験栽培。





植木鉢に使う栄養豊富な土へ蒔いてみました。

これは最初から、まるっきりダメでした。

種を蒔いて 10日を過ぎても発芽しませんでした


これが重要なポイントになります。

後述しますが、綿花栽培の土は何も含まない綺麗な土が一番いいです。

とりわけ何も含んでいない建築資材用の山砂が最適なようです。





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真砂土(山砂)での試験栽培。

以下、山砂での栽培を中心に載せます。





7月になって、こんどは山砂へ蒔いてみることにしました。

写真は種を蒔く前に1晩ほど水に浸けておきました。

水は天然の井戸水です。もし清流の水が入手できればそれが一番いいと思います。

清流の水を採る場合、上流に生活排水が無いことが絶対条件になります。

なぜ天然水かは、たとえば、カルキの多い水道水でワサビはうまく育たないです。同じです。


綿の害虫は主に『ハマキムシ』です。

害虫の生態を調べてみますと、越冬はサナギになって土中の深さ約 5〜10センチの所で越冬します。

その越冬したサナギが春になると土中から出て来て植物を食い荒らします。・・・ということは、

新しい土を使えば害虫の被害は最小限に抑えられ、無農薬栽培が可能になるということになります。

またさらに、新しい土なら雑草も抑えられます。そこに古代農法の秘密が存在しています。


神籠石遺跡は標高数十〜数百メートル程度の丘状の低山に遺跡があります。もしそれが綿園跡なら、

なぜ平地ではなく、山の上にしたのか、そのナゾが土にあります。山の上なら、土を新しくしようと思えば

表土を削り取って谷間に捨てればいいです。平地では土を削り取るわけにはいきません。

また、今でこそ新しい土を入れようと思えば、ダンプカーやブルドーザーなどを使えば簡単にできますが、

そういう物の無かった古代に新しい土にしようとすると、土を入れる方法ではなく、削り取る方法です。


おのずと山の上が最適ということになります。そうして表土を削り取った新しい土を耕して種を蒔けば、

春になって土中から出て来る害虫は皆無に等しくなります。つまり、殺虫剤など農薬を必要としません。


事実、私が試験植栽した山砂の花壇と、田に作った畑との距離はわずか十数メートルしか離れていませんが、

山砂の方は害虫被害は無く、田土の方は害虫に葉を食われてボロボロ状態でした。そのぐらい差があります。

つまり、綿園を丘や山の高所にしたのは、常に新しい土を使って栽培するという古代人の知恵なのです。


しかし、新しい土には栄養分が少ないです。それでも大丈夫なのか?それを今からやってみます。





2015-7/4

建築資材屋で売っている真砂土(山砂)です。建築資材の砂は山砂と海の砂がありますので確認が必要です。

私は昔、山砂販売の仕事をしたこともあるので、わかるのですが、山砂採取は山を削って深い所の土を掘り出します。

だから、地表の栄養分はほとんど含まれていないと見ていいです。そのことは大きなヒントになりました。



種蒔きは発芽の様子を見たくて、ポットに山砂を入れて蒔きました。

ポットの底には根が出やすいように数本の切り込みを入れておきました。

ほんとはポットなど使わず、直播きのほうがいいです。



翌年追記・・ポットごと埋めるのはダメです。こちら。(内部リンク)

棉の根を掘り出してみますと、根は横方向に広がって伸びていきます。

ポットの底に切り込みを入れておいても、そこからは出てくれません。

つまり、根はポットの中をグルグル回っているだけの状態になってしまいます。


直蒔きがいちばん良いですが、ポット発芽の場合は砂を崩さないように移植する必要があります。

その訳は、棉は根から樹液を出しながら伸びていきます。砂を崩してしまうと、根の樹液の

バランスが崩れてしまいます。それでも成長はしてくれますが、樹勢が衰えます。収穫量にも影響します。





2015-7/6

栄養豊富な土では発芽すらしなかったのですが、栄養分のまったく無い山砂では、

わずか 1〜2日で発芽しました。 その早さに少しびっくり。


種を埋めた深さは約 1センチと浅くしてみましたが、これは浅すぎました。

なぜかと言うと、種が自分の殻を脱ぐ時、土の摩擦抵抗によって殻を脱ぐので、

山砂の場合、土の摩擦抵抗が少ないので、2〜3センチの深さで埋めるのが理想だと思いました。


(追記)発芽する時の殻を栄養分にしますので、土中で脱がさせるほうがいいです。





2015-7/16

この場所は、もとは田でした。そこを宅地にするため約 30〜50センチ程度山砂を入れています。

そして今回、花壇にするためにさらに約 30センチ程度山砂を入れました。

よって山砂の厚さ(層)は元の田土から約 50〜60センチあります。


土が新しいうえに山砂ですから雑草もほとんど生えません。除草剤は要りません。

また、新しい山砂は土中に害虫の幼虫が潜んでいませんので、無農薬でいけます。






2015-8/25

台風 15号の暴風によって、すべての棉が倒れてしまいました。

防風垣や添え木を設置しておくことの重要性を感じました。



この時点で、田の土に植えていた 5本は全部再起不能の状態にまで陥りました。

枯れはしませんでしたが、風にやられた時点で成長が止まってしまいました。

ところが、この山砂の苗は、倒れたのを起こして添え木をして、

元通りに立ててやると、ふたたびぐんぐん成長を始めました。

こういうところに土の違いが出てくるのですね。

綺麗な水さえあれば、砂のほうがいいようです。







2015-9/16

発芽して後、約 2か月(64日)で最初の花が咲きました。

この時点で初めて鶏糞を盃 1杯程度やりました。 後にも先にも肥料はこの時だけです。

(2017年・加筆) 土に鶏糞をそのまま撒いたらダメです。水に溶かした上澄み液をやります。



花が咲き始めてからの水やりは多量の水を必要とします。

1回の水やりで使う水の量は、この 1本だけでもバケツ 3分の1ぐらい使います。

柄杓で根元にそっとかけてやります。水が土中に染みこんだら再びそっと根元に水をやります。

ジョロなどで表土を湿らせる程度ではダメです。柄杓を使って根元にしっかり与えます。


とくに夏場の炎天下では砂は手を当てられないほど熱くなりますから、水をやって、砂の冷却も必要です。

私は当初、それに気付きませんで、夕方になれば葉がグッタリしているわけです。なんでかなと考えると、

砂の高温による弱りでした。だから炎天下は砂の冷却の意味も含めて頻繁な水やりが必要です。


水をたくさんやったら根腐れを起こすというのがありますが、それは、水か土、

どちらかが悪いと思います。綺麗な水に綺麗な土(砂)でしたら根腐れなど起こしません。

しっかりと、水をやらないといけないですし、砂だと乾燥が早いので多量の水を必要とします。



棉の栽培には多量の水を必要とするということは、神籠石遺跡にも現われておりまして、

神籠石遺跡のある丘(山)は必ずと言っていいほど湧水による清流や池があります。

下の写真は石城山神籠石の北水門にある沢です。今でも清らかな水が豊富に流れています。

水の湧かない山で棉は栽培できませんから、山は山でも湧水(泉)のある山であることが絶対条件だったのです。










2015-9/23

樹高は約 60センチになりました。次々に花が咲いています。


画像の竹は防風垣の役目で立てています。開けた所なので風当たりが強くて。防風対策です。

綿の木は風に弱いということは前述した台風後の成長を見ても明らかになります。







2015-10/3

樹高が 70センチになりました。








2015-10/6

樹高が約 75センチになりました。







2015-10/9

たくさんの蕾が付いて、まだ花も頻繁に咲いています。

この時期から外気温が問題になってくるのですが、

未明から早朝にかけての外気温は 10度前後に冷え込んでいます。




花が落ちた後にできる蕾です。これがハジケて綿が吹き出します。







2015-10/11

風がかなり強いので防風ブロックを積み上げました。

エジプトピラミッドの石のブロックは何に使われていたのかが明解になる一瞬です。

日本の神籠石は害獣除けで、防風柵は木竹を使ったと思われますが、エジプトでは

切り石を使って防風対策にしたのでしょう。水さえあれば砂が一番いいのです。

栽培当時のブロックは、たぶん、地下1段と地上1段の2段構成で連結させていたと思います。

そうして砂漠に広範囲な綿花農場を展開していたのでしょう。


しかし、綿花で築いた富も、やがては養蚕の上質な糸との競争が激化します。

そうした事情は古事記に記してありますが、現状の解読では見えません。

やがて人々が綿花を放棄する時、不要になった防風ブロックをピラミッドに積み上げて記念碑にしたのでしょう。

だから、メンカウラーであり、綿のことを石を並べる時に出る音にたとえて「コットン」なのです。






2015-10/14

水しかやらないのに (笑) 蕾は10数個も(20個近い)付いています。

これなら採算が合います。





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古代の栽培方法を研究している内に、最終的に現代の無農薬コットンに行き着きました。

世界を見渡しましても、綿花の農薬使用量は膨大な量であり、農薬や、綿の品種改良による悲しい出来事も

多発してきたようです。そうした事情は国連大学ウエブマガジンに記載してあります(外部リンク)。



さて、私のこの後は外気温とのにらみ合いになりそうです。

今の予測は、仮に霜によって落葉したとしても、綿の蕾さえ出来ていれば、それがハジケて綿の吹き出しはあります。

そこのところも研究したくて、わざと種蒔き時期を 7月にして大幅に遅らせてもみました。今思うと、害虫対策は時期を

遅らせずとも、新しい土だけで対応できるのではないかと思います。同じ山砂でも、敷いて10年物の山砂と、新しい

山砂とでは害虫のつきに雲泥の差があります。現に両方の土はわずか 2メートルしか離れていないのに、敷いて 10年物の

山砂に植えた綿は葉を食われてボロボロ状態になっています。また、新しい山砂を使った木の害虫のつきは極端に少ないです。

それだけ綿花栽培に新しい土を使うということは大事であり、古い土の中に如何に害虫が潜んでいるかということの証でもあります。

それが古代農法と今の無農薬栽培に結び付くのです。


綿花栽培の農場を経営しておられる方もいらっしゃると思います。山砂を最初に厚く敷いて削り取っていく方法にするか、それとも

何年間隔かで薄く敷いていくか、これは予算により、どちらでもいいと思います。ただひとつ明確にしておきたいのは、害虫は冬期に

サナギになって土中に潜りますから、山砂を敷くのも、削り取るのも、時期(タイミング)が大事になるということを記しておきます。




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2015-12/12













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蕾を付けたまま冬に突入したので、もうダメかと思っていたのですが、成功しました。

以下、成長過程は写真の日付を参照してください。なお、原種なので綿がクリーム色です。

















2月末には全部の綿が収穫できるほどに成長しました。


以上のことを見て、暖かい時期に蕾まで成長していれば、蕾で冬に突入しても、綿は冬期に収穫できることになります。

ただ、温暖な時のと比較しますと、7月に蒔いて、2月末の収穫ですから、かなり日数がかかります。


成功です W





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綿が出てから収穫までの日数。


蕾がハジケ、綿が吹き出してすぐに収穫したのではまだ小さいです。

綿が出て、どのぐらい日数を置けばいいか、やってみました。

六月蒔きの綿です。




綿が吹き出して四十二日経過。最初の頃の何倍もの大きさになりました。

葉は無くて枯れたような感じなのですが、生きていて、綿の吹き出しは続いています。

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綿が吹き出して後、55日経過。

風が吹こうが雨が降ろうが放っておきました。最初の頃の数倍もの大きさになりました。

雨露の水分の重みで垂れ下がります。このぐらいが限界みたいです。

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綿の大きさの違いを比較してみました。一目瞭然です。


綿だけを採って、再び綿が出て来ないか、やってみました。

結果、綿を採ったらもう出ては来ませんでした。残念(笑)。

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タネの採取量と綿の残量


上の写真の綿から、タネを採取して、その数量を比較してみました。




大きいほう 55日収穫の綿です。 全部で 18個とれました。

不慣れなもので(笑)指先でちぎったぐらいではとれません。

ハサミを使おうとしても、ハサミも通用しませんでした(笑)強い。

こちらはタネをとっても、綿がだいぶ残りました。

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小さいほう 10日収穫の綿です。 こちらは 11個とれましたが、

右側の 3個は約 3ミリ程度の小さいタネです。蒔いて発芽するかどうかは疑問です。

大問題なのが、こちらはタネをとると綿が残りませんでした W W W。

もう少し綿を綺麗にとれば少しは残るかもしれませんが、綿自体の収穫は少ないです。



こうして見ると、綿の生産もたいへんだなぁと思います。

タネ無し綿ができると生産量も上がるかもしれません W




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不思議なこと




タネは同じ原種なのですが、茶色と白です。

違う品種のタネがまぎれ込んでいたのかなと思いましたが、

タネに付着していた綿は原種の茶色でした。

土の違いで色が分かれるのかなと思いますが、これは不明です。



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根の構造





綿の根です。

下方向にはほとんど伸びず、横広がりに伸びていきます。

赤矢印が地表面ですから、地下は約 15cm 程度です。




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害虫対策の結果




『ハマキムシ』という幼虫がすべてでした。



新しい山砂を使って栽培した花壇に害虫は全然付きませんでした。

古い山砂と新しい山砂の花壇の距離はほんの数メートルしか離れていないのですが、

その違いは明瞭でした。古い土のなかに如何に害虫が潜んでいるかを実感しました。


そのことは、綿花農園である神籠石遺跡が山(丘)の上に築造されていることの意味でもあります。

害虫のほとんどは冬期にサナギになって土中約 10センチ前後の所に潜って越冬します。

そして春になると土中から出て、棉を登って葉を食い荒らすのです。ということは、冬期に土の

表面を 10センチ程度削り取って捨てれば害虫被害は最小限に抑えられることになります。

平地ですと、土を削り取ると穴ができて困難ですが、山の上なら削り取るということが可能です。

そして、削り取った土は畑外の谷へ捨て、新しい土を耕して栽培を継続させることができます。



神籠石遺跡の外側に築いてあった版築土塁だと言われて来た土の城壁は、

実は、綿畑の表土を削り取る時に出た廃土を捨てた痕跡だったのです。

あるいは、後の時代にその廃土を土塁として再利用したのかもしれません。



棉は綺麗な土と綺麗な水を好みます。とりわけ山砂で栽培するのが最良です。

定期的に畑の表土を削り取って新しい土(山砂)にすることができる神籠石遺跡の

山や丘の上は最適地だったのです。また、神籠石遺跡には必ず清流があります。

水門と名付けられているその清流があることこそ綿花栽培にとって絶対に必要です。



そうした結果を見ましても、神籠石遺跡は綿花栽培の農園として存在していたのです。

獣の毛皮や麻の服を身にまとっていた当時の人々にとって、綿の柔らかさと温かさは

格別だったことでしょう。こぞって綿を求めたことにより、一国の収益の要となったのです。



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