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 鷲頭山 登山記    2008-7/9 撮影

 降松神社の駐車場から出発します。
 降松神社までの道案内はこちらをどうぞ (内部リンク)  

 フジ ファインピクス  F100fd  コンパクト   


 鷲頭山に登ります。 降松神社(若宮)駐車場から出発します。
 車でも登れますが、軽四輪以外は止めておいたほうがいいと思います。二輪か又は歩くか・・・。^^。 

 もと来た道を引き返します。 
 次の図(下の写真)と間違えやすい地点です。風景の確認を・・・。

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 この風景の所を左折して登って行きます。
 前面に小さなお堂があります。左折ですからね。

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 途中の風景です。
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 墓地を過ぎた辺りから未舗装路になります。
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 ここは私の車だと目一杯だと思います。 
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 こんな感じの道が延々と1時間近くも続いていきます。
 歩いていると、まだかまだかと気が遠くなりそうな感じがします。
 十年位前の話しですが、私が軽四で登っていると、神社奉仕に向かっている年輩の女性達に出合いました。
 「乗せて行ってあげましょうか?」とたずねると、悲鳴を上げて喜ばれまして(笑)、今自分が歩いてみるとその気持ちがよくわかります。行けども行けども、という感じの道です。
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 途中、見晴らしの効く所があったので一服しました。
 この辺は登りがかなり急で、こたえました。^^。 
 向こうに見えるのは東洋鋼鈑の煙突です。
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 見えて来ました。延々と1時間も歩いて、やっと見えて来ました。
 生い茂る山のなかに突然現われる巨大な楼門。
 その大きさは異様な感じさえします。普通じゃありません。 

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 この造りから古代の高床式神殿を連想するのは私だけでしょうか?
 何かの本で見たんですが、上半分が北海道のアイヌの城門にも似ている気がします。 

 いずれにしても、この楼門は重要です。
 下に方位を分析しておきました。


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 門の拝礼方位  133度  分析に使った地図・国土地理院・二万五千分の一地形図

 拝礼方向 ⇒ 光市島田・熊野神社 ⇒ 光市大峰峠 ⇒ 佐合島(龍に相当) ⇒ 室津・賀茂神社付近 ⇒ ハンド島(ハンド英語の手)と平郡島の中間海域  

 前面方向 ⇒ 萩市 (豊浦・豊北・長門・萩は敵の侵入経路になります。土井ヶ浜遺跡は有名。)  



 見解 
 光市熊野神社は神武物語に登場しています。鷲頭寺の山門と物語上、続いているのがわかると思います。
 それを見ても、鷲頭寺が明治時代の建立というのは、いかがなものかと・・・(相当に遡るはずです)。



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 以下2枚  キャノン S70 コンパクト 






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 これより  フジ ファインピックス F100fd コンパクト (三脚使用)  


 右側の道は急傾斜路を登って神殿裏手に上がります。
 主に神社建物の保守修理の資材運搬用の道と思えばいいです。
 鳥居の方に進みましょう。
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 まさに遺跡という感じの参道です。
 妙見星を祀る神社は石段の方位も重要です。ある星(星座)に向かって石段を昇って行くわけですから。
 この石段は方位95度で、上昇角度は20度前後になっています。


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 上の写真の石段を昇りきると、次の石段は方位30度上昇角度も30度になっています。
 写真を写してなくて、申し訳ないです。

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 最終の石段です。 方位は0度上昇角度は25度前後になっています。(下の写真も同じ地点です)





 私の浅学解釈での石段方位による星座の分析。 
 秋の夜半過ぎから夜明け前にかけての天体ショーと思われます。

 最初の石段・方位95度・上昇角度20度・ これはオリオン座(ベルトスター)
 二番目の石段・方位30度・上昇角度30度・ これは大熊座(北斗七星)
 最終の石段・方位0度・上昇角度25度・ これは妙見星(北極星)


 参道石段の方位は、からと水道の主要地点を指しています。
 最初の石段・ 蓮台寺山の方向。
 二番目の石段・ 林松坊の方向。
 最終の石段・ 波野スフィンクス頭頂部の方向。

 初代の地を参道の方位で記録しています。
 だから、石段の方向が複雑なんですね。
 「菱形十文字章」を冠された意味もわかります。

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 妙見について  

 以下の文章は「神武・大熊」(光市熊野神社)の章で解説したものです。重複しますが、もう一度載せておきます。

 古事記の物語では「大熊」が出てきます。大熊とは星座を意味しています。大熊座のことです。
 柄杓形の星座は北斗七星ですが、その北斗七星は大熊座の一部でもあります。夜空を見上げて柄杓形の星座を見つけたら、それが大熊座だと思えばいいでしょう。さらに、柄杓形の星座は大小二つありまして、通常言うところの北斗七星とは大きい柄杓をそう呼んでいます。大きいので大熊座、そして、小さい柄杓の方は小熊座と呼んでいます。小熊座のしっぽの先端に北極星があります。北極星はキラキラと七色に輝いて美しいので、妙見星とも呼ばれています。
 妙見神社と申しますと、その北極星を祀った神社のことを言いますが、北極星は天の真ん中にあって不動なので、よく軍神に例えられます。では本来の意味も軍神として祀られたのかと言うと、それはちょっと一考の余地があります。北極星は小熊座の一部です。小熊座と大熊座ですから、親子です。星座の動きを見ますと、小熊座の回りを大熊座がグルグルと回っています。子煩悩ですね。そうすると、親子の絆は不動である、と言った意味が本来のものなんです。ですから、妙見神社といったら親子の神さまなんです。
 では、妙見神社の祭神は何神なんだろうと見ますと、この辺では降松神社が一番大きい妙見神社です。その祭神は天地創造の最高神であるアメノミナカヌシを祀ってあります。さらに、柳井市の奥地にある南山妙見宮という神社では、クニノトコタチノミコトを祀っています。どちらにしても最高神です。熊座に関連している以上、その最高神が居なくてはなりません。
 この光市熊野神社は、一時、十二社大権現とも呼ばれていました。十二柱の神を祀っていることからそう呼ばれたわけですが、その祭神を見ますと、錚々たる神が名を連ねています。そのなかに「クニノトコタチノミコト」が居ます。妙見星(北極星及び熊座)に関連する神です。



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 そもそも、道無き道を(失礼)歩いて来た山奥に、こんなりっぱな社殿が在るということ自体、普通じゃないんです。
 私が初めてここに参詣した時の心境は、マチュピチュか、テォティワカンか、はたまたアンコール・ワットか、そういう遺跡を発見したような気分がしました・・・ほんとです。




 山奥に誰も居ない神殿。
 鳥のささやきしか聞こえてきません。
 静まりかえった神域は廃墟的崇高さが漂います。



 一般の神社の三倍はあろうかと思われる大きな神殿。








 境内からの眺め。
 画面中央の少し左側に煙突が見えます。東洋鋼鈑の煙突ですが、その煙突の少し左側の海浜(古代の海浜)に「怒龍の松」(どりゅうのまつ)という地点があります(下の写真)。煙突を基準にして考えると分かりやすいです。
 その「怒龍の松」、現状では琳聖太子の墓と伝わっていますが、その怒龍の松から少し離れた所に宮洲古墳というのが在ったようです。鷲頭寺の由来本「妙見さま」をもとにしますと、その古墳から享和三年(1803)に漢式鏡四面が出土しているようです。現在その銅鏡は、ある財閥のコレクションになっているそうです。買い戻せるといいですね。そうすると、宮洲古墳こそ琳聖太子の墓ではないかということになります。
 怒龍の松とは、読んで字のごとく「怒った龍の姿をした松の木」です。そうすると、宮洲古墳と怒龍の松は距離を置いていますから、この関係から直感するものとして、一連の「スフインクスと龍」の一騎打ちがあります。あの巨大な物語シリーズです。あれは、ここで完結しているのかもしれません。 

    上関・雑石瀬戸のにらみ合い (内部リンク)   

    光市室積・象鼻が崎の一騎打ち  (内部リンク)   

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 「怒龍の松」と呼ばれている所は「東洋鋼鈑(株)下松工場」の敷地内に在ります。 (外部リンク)  
 勿論かっての巨木は枯れて在りませんが、辺りは一面の松原だったそうです。
 神代人達は松の巨木群を龍に例えて伝え残そうとしたのでしょう。


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 降松神社 上宮   

 上宮は鷲頭山の山頂に在ります。
 かって上宮は神官しか上がれない神聖な場所だったそうです。
 その伝統は今もなお引き継がれています。
 神殿への道は無く、一般の人々は中宮で参詣すれば願いは通じると謂われています。


 これより  キャノン S70 コンパクト 






 ご覧のとおり、道はありません。
 崖のような所もヨジ登ります。^^。
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 鷲頭山の最上部に位置する降松神社の神殿です。






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