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万葉集 巻第二 192番歌 解説と関連写真


朝日照る 佐田の岡辺に 鳴く鳥の 夜泣きかへらふ この懇ろを


原典文字の「 此年己呂乎 」の部分、「 このとしごろを 」ですが、現地に立つと、「 このねんごろを 」になります。

その懇ろの意味は、親切な、とか、ていねいな、という意味です。ひいては、お節介な面をも内包しています。


何が懇ろかと申しますと、現地に立つとわかるのですが、その理由を言うには賛否両論あることは承知しています。

山や丘が全部お尻の形にしてあるのです。それは尻から剣を突き刺して暗殺したことに対する敵側の報復措置です。


下の写真は石城山の北門の東上側にある夜泣き石です。そこら辺りからふもとを見おろしますと、丘という丘が全部

お尻の形になっています。地面からお尻がポコポコ飛び出ている形になっているのです。

侵略者が現地人の捕虜を使って造成したのだろうと思います。削り取った土で、からと水道を閉塞させた。


大きな山や丘ですから、古代には簡単に直すことなどできません。再起不能にされてしまったのです。

初代ヤマトの地が黙殺された理由は、こんなところにあるようです。

だから、歌は「 ねんごろ 」と解読しました。





石城山、北門の東側上にある「夜泣石」です。


夜泣き石の向いている方向は、

神籠石列石に視線を置きながら、顔は高日ヶ峰を仰いでいます。


前でも解説しましたが、高日ヶ峰は聖徳太子の初代古墳です。

後に大波野の納蔵原におろされて近畿方面へと改葬されます。





 夜泣き石の形態は荒削りですが、かなり彫刻に慣れていないとこうはいきません。

 石の高さは土手の斜面側で約2メートル、遊歩道側が約1メートル位です。

 置き石ではなく、岩盤に直接彫ってあります。


 石城山は、沓石(くついし)と呼ばれている北門の礎石は有名です。

その沓石から数十メートル程度の地点にある夜泣き石は気味悪がられて話題になることはありません。

 夜泣き石の彫刻手法はイースター島の巨人像にそっくりです。もう少し話題になってほしいものです。





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