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万葉集 巻第二 189番歌 説明と関連写真


朝日照る 嶋の御門に おほほしく 人音もせねば 真浦悲しも



 この歌を追究すると複数の該当場所が出てきます。前の188番歌と同じことです。

何かひとつ確実なのを入れておいてくれたら確定できるのですが、今のところ根拠に

できるものは原文字での 「旦日照」 です。これも前の188番歌と同じ文字を使っています。





 神花山古墳への参道。

ここを挙げた理由は歌の原文字 「旦日照 」を根拠にしています。

文字の意味は 「田ん日、照る」つまり、方言が入っており、田の日が照るという意味です。

この神花山古墳は田名という所にありますし、神花神社の由来も田畑の土の由来です。

そうしたことから、歌にある「島の御門 」とは、ここを言っていると結論付けるものです。






 荒砂稲荷(人島稲荷)、境内より大星山・箕山を仰ぐ。


では、続く「人音もせねば 真浦悲しも 」はどんな意味を持つかと申しますと、

「人音 (ひとおと)」 とある部分に集約されています。先の神花山古墳から約 3キロ北側に

人島稲荷 (ひとじま・いなり)があります。その稲荷社のある所は、昔、海だったころに小さな島でした。

その島の名は人島(ひとじま)と呼ばれていました。その島に建っているので人島稲荷と呼ばれてきました。

別名を「荒砂稲荷」とも呼ばれますが、人島の稲荷さまと呼ぶほうが通りがいいです。


人島稲荷社の方位を計測してみますと、前面方位が「田名」の神花山古墳へ向いています。


拝礼方位 10度  いずれ、地図で載せるつもりです。

 社殿前面方向 ⇒ 八海 ⇒ 平生町・教相寺 ⇒ 田名(神花山古墳の少し西側) ⇒ 馬島 ⇒ 四代


拝礼方向 ⇒ 竪ヶ浜・智願院 ⇒ 荒木 ⇒ 余田小学校 ⇒ 坂本 ⇒ 大平山 ⇒ 柳井市畑 ⇒ 岩国市大平山 ⇒
 杭名 ⇒ 弥山社の少し西側 ⇒ 日宛 ⇒ 坂本 ⇒ 中国山地を横断 ⇒ 山陰本線・浅利付近 ⇒ 大島 


 社殿に向かって右手方向 ⇒ 大野北 ⇒ 杵崎山頂上 ⇒ 伊保庄 ⇒ 周防大島志佐・脇ヶ鼻 ⇒ 西屋代 ⇒ 嘉納山 ⇒ 東安下庄 ⇒ 西方 


 社殿に向かって左手方向 ⇒ 田布施町麻郷奥 ⇒ 田縫・正信寺 ⇒ 真殿・蓮華寺(黒地蔵尊で有名) ⇒ 光市光井・長楽寺 ⇒
 光警察署裏手の神社 ⇒ 島田川河口 ⇒ 笠戸島・東風浦 ⇒ 周南市大島大和付近







 玖珂郡志より

人島 (長浜トモ) 小島也。古市より二百間、田布施境に在り。

今は開作三ノ割内也。寛永三熊野帳に、人島古地畠五畝、米七升五合。是は人島西手、平地に有之。






塩浜。三十六枚。但、 内七枚、玖可島浜(七枚浜トモ)。 内十二枚、人島浜(長浜共)。 内十七枚、角浜。 





















人島稲荷の横を流れている田布施川です。

 水の流れは、こちらから向こうへと。

この川は大物主の神が丹塗り矢になって流れ下った川です。





 田布施町浮島付近より石城山と波野スフィンクスを望む。 川土手にて撮影。





 平生町人島付近より大星山と箕山を望む。

 和歌好きな方ならこのままでわかると思います。

 ファンの多い歌なので、我が身を斬られる思いで載せました。申し訳ありません。





 浮島付近にて南の方向を撮影。


 佐田を源流とする田布施川は、三輪(美和)のコンピラ山のふもとを廻って城南古墳群の裾野を流れ、

初代の地を眺めながら、やがては麻里府へと流れ出ます。美和の大物主の神のごとく丹色の小船で流れ下ったら、

これはもうロマンですね。  (この辺りは潮の干満によって川の水位が上がったり下がったりしています。)





 人島付近にて北の方向を撮影。




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