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 広瀬・龍田の神  
 掲載写真はすべてフィルム・スキャンです。2000年頃撮影。
 今は変化している所もあるかもしれません。


 立野  

 立野という所は三井のすぐ隣り地域になります。光市立野であり、三井と同じように島田川沿いに位置しています。立野と言うと、日本書紀に登場する龍田の立野(たったのたての)です。日本書紀の天武四年に風の神を「龍田の立野」に祭ります。そして、その龍田の立野と同時期に「大忌神」を広瀬の河曲に祭ります。合わせて「広瀬・龍田の神」と申します。その神の祭事は持統天皇の代まで続きます。持統天皇は女性の天皇です。その持統天皇で日本書紀は終っています。古事記は推古天皇(女性)で終っています。どちらも女王で終っています。とても重要な部分です。これ以後、天皇はほとんど男王で占められるようになります。・・・なぜ男王で占められるようになったのでしょうか?私は長い間研究して来て、その事が疑問でした。その答えは、女王の場合、世の中が平穏なら問題無いんです。ところが、一旦、敵国に侵略されると女王は悲惨です。



 光市・立野にて
 この道の正面に立野神社が在ります。   

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 立野神社   

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 防長風土注進案より
 熊毛郡 立野村 
 立野と申す地名の事、古は楯野と書記し候由、当村の産土神、今山宮の祭神「楯野媛命」の由縁より唱来候由。〜

 神祠
 直守塚権現  祭神 吉備津彦命 (内部リンク) 
 今山権現  祭神 楯野姫命  
 両社相殿
 由来 今山の儀は此所に往古より在りし、鎮座の時代は相知れ申さず候。〜今山直守塚合祠にして両社大権現と崇敬奉る。〜


 山口県風土誌より 
 立野神社 旧号・今山両社権現  



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 広瀬・龍田の意味。二万五千分の一の地形図を使って解説するとよくわかるのですが、著作権の問題もあり、文章で説明します。先ず、立野神社から南北に線を引きます。そして、立野神社から北側(真北)に線を伸ばしていきます。ぐんぐん伸ばして行くと、広瀬の出合橋に到達します。日本書紀には「大忌神を広瀬の河曲に祭った」とあります。河曲とは、文字通り「河が屈曲している所」です。出合は錦川の上流になり、地図を見てもわかると思いますが、錦川と中ノ瀬川の合流地点でもあります。川も大きく屈曲している地点です。北線の到達する地点には、日本書紀の記述通りに神社が在ります。それが近接して二ヶ所に在るので、この神社だ、と決定するのがすごく難しい。一社は記述通りに川の大きく曲がる広瀬側に在り、金刀比羅宮と言います。もう一社は、川を挟んで対岸に在り、出合の谷の中腹、と言ったらいいでしょうか、高度的には金刀比羅宮より少し高い位置になります。そこに寄江神社という社が在ります。どちらだろうかと私は何度も広瀬を訪ねました。寄江神社は、出合の谷を登って行った中腹に在り、ほんとに小さな神社です。神社の裏手に小さな滝(水落)がありまして、沢は神社に寄り添うように流れ下り、ふたたび滝となって中ノ瀬川に入ります。寄江神社の境内はとても湿度の高い環境にあります。私が初めてそこに参詣した時、日本書紀の記述としてはあまりにも神社が小さいので信じられませんでした。半信半疑なまま帰路につき、帰宅して、もう一度確認してみました。間違いなく北線は寄江神社に到達します。一週間後、私はふたたび広瀬・出合の地に立っていました。そうして考えてみると、寄江神社と金刀比羅宮、どちらの神社も該当するんじゃないかと思います。線を引くと寄江神社であり日本書紀の記述だけですると金刀比羅宮になります。そうした事は日本書紀にも記載してあります。現状では物事の現象として解釈してあります。「(持統天皇六年七月の条) けい惑(けいごく・火星・火の神)と歳星(さいしょう・木星・五星の一つ)とが、一歩の間で光ったりかくれたりしながら、四遍も互いに近づいたり離れたりした。」 この意味を現実的にとらえると実に不自然ですが、方位線上に置いた社寺としてとらえてみると、近づいたり離れたりして、なかなか合わせるのが難しかったことが垣間見えます。


       

 立野神社からの北方位線は金刀比羅社の丘の先端付近をかすめて寄江神社に到達します。  


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 赤い数字は方位線からの距離です。(例)下小周防の場合、方位線から約100m西側に離れています。

 神社だけでもこれだけ在ります。これは地図上に記載のある神社であり、これ以外に小祠も在ります。ただ、小祠の場合、動かしていないか、そこから明瞭にしないといけませんので、大変です。小祠は考えないようにしています。
 まだ寺も在りますから、すべてを入れると相当数の社寺がこの南北方位線付近にひしめき合っています。


 寺の図を入れる。(予定)   


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 広瀬・河曲の神々  

 寄江神社    



 画面真ん中の少し右寄りに電柱のような柱が立っています。そのすぐ右側に鳥居が見えます。

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 参道の左下には沢が流れています。 

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 参道から見える風景です。
 地形的に切り立った山が迫っているので、棚田が大部分を占めます。

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 柱の上に臼をかませて、その上に笠石を置く造りです。

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 社殿は谷底のような所に在って、太陽の光線はほとんど届きません。
 初めて訪れた時には、私の間違いかもしれないと半信半疑でした。
 2回目に訪れた時には確信がありました。
 賽銭箱に千円を納めて、祝詞を唱えました。
 一心不乱に唱えていると、雨がだんだんと強くなってきて、
 神々の涙のような雨でした。

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 神殿の裏手には小さな滝があります。
 滝の水しぶきはいつも神殿を濡らしているような、そのくらい近い距離です。
 私は川底まで下りて写真を撮影させてもらいました。
 その時には撮影に懸命で気付かなかったことです。

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 滝のすぐ近くまで近寄って、初めて気付きました。


      

      日本書紀にある「大忌神」とは、このことだと思います。

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 金刀比羅社  



 新出合橋。
 川が大きくカーブしている所に在る丘の中腹で撮影しました。
 こちら側が上流、向こう側が下流です。
 画面には入っていませんが、左後方辺りで川の流れは大きくカーブしています。

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 新?金刀比羅社でしょうか?。
 向こうに旧?金刀比羅社が見えています。 

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 こちらがほんとの?金刀比羅社。
 すごく古い石垣遺跡の上に社殿が在ります。
 通路の部分には石段が無くて、土造りのスロープです。
 当初は、石段を取り払われた跡かと思っていましたが、
 あちこち見て歩くと、どうも最初から土造りのスロープらしいことがわかりました。
 こうした造りは特別古い遺跡に見られます。
 なぜ石段が無いかと申しますと、物資を引き上げる時に便利だからです。


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 旧?金刀比羅社。
 約十年前、台風による倒木で押し潰されそうな状態で残存していました。
 ほとんど廃れたような状態でした。
 今でも残っているでしょうか?
 また訪ねてみたい思いです。
 これこそ正真正銘、日本書紀にある「河曲」の神です。

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 広瀬八幡宮  



 広瀬八幡宮。
 十年前「広瀬・龍田の神」の締めくくりとして、神さまへの挨拶がてらに参詣しました。
 ここへ参詣した時も、土砂降りの雨でした。
 中へ入って拝見させてもらいますと、さすが元鉱山で栄えた地域らしく、
 社殿の造りひとつを取っても、すごいものを感じました。
 雨が強くて、写真がこれだけで申し訳ありません。

 当時はこの参詣で広瀬の旅は終了しました。
 山菜好きな私にとって、又いつか、こんどは泊まり掛けで訪ねてみたいような、
 どこか懐かしい気持ちにさせてくれる里です。


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 龍田の神々  

 「広瀬・龍田の神」、こんどは南の線です。立野神社から真南に線を伸ばしていきます。南線はやがて光市室積の象鼻ヶ崎に到達します。象鼻ヶ崎は神武の章・(夢の教え・井の光)でも載せたように巨大な「龍」です。龍田の意味です。そして、南線の到達する神社は室積・江之浦天満宮です。天満宮とは以前にも書きましたように、菅原道真という年代の新しい神を祀ることによって隠された神社が大部分を占めています。南線の正確なところはその江之浦天満宮になります。境内にエビス・ダイコクを祀る二つの石祠が在りまして、比較的大きな石祠ですが、南北が方位になっています。
 もう一度、まとめてみますと、立野神社を中に置いて南北に線を引くと、北に広瀬があり、南に龍(象鼻ヶ崎)があることにより、日本書紀の記述の通りの事実があります。さらに、風の神とは、象鼻ヶ崎の真ん中辺りに杵崎神社という社がありまして、風土記などの風鎮祭では必ず登場する神です。



 光市・室積  江之浦天満宮  
 画面右手方向に室積湾があります。

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 龍田 



 光市・室積  象鼻ヶ崎(ぞうみがさき)   
 龍田の文字の通りに龍です。
 龍の頭の部分に峨嵋山神社、そして龍の背中に杵崎神社(風神)が在ります。





 この龍の頭の部分に下の写真の峨嵋山神社が在ります。
 現状では戦没者慰霊の明治創建の神社と思われていますが、とんでもない。
 創建は神代の時代です。証明はまた改めて別の章でさせてもらいます。





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 杵崎神社 (風神)  


     





 杵崎神社境内直下にある観覧場。
 何かに似ていると思いませんか?


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 杵崎神社
 再建直後に撮影。 
 以前は木造の大きな社殿でした。台風の直撃を受けて倒壊。
 以前の四分の一程度に縮小されてしまいましたが、現代的でモダンな社殿がとてもいいです。
 神殿及びその方位は昔のまま継続してあります。


         




 室津半島に在った「幻の杵崎風神」は、神代の時代にこの亀崎神社と一体となります。


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