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榊八幡宮
さかき はちまんぐう

山口県岩国市由宇




私は車をここにとめていますが、上の境内まで車で上がれます。
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参道石段の中腹から瀬戸内海が間近に見えます。
古代には今よりも海が近接していただろうと推測します。
参道の向き(写真の方向)は東南東です。
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参道の中腹から北参道(右鳥居)が昇って来ています。
下の図でいちばん下の所です。




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東参道に接続して北参道が昇って来ています。
この祠堂は有信霊社といって由宇の遠いご先祖を祀ってあるそうです。




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石段の石質に対する風化量を見れば経過したおよその年歴が推察できます。
この石段は凄いですね。二百年三百年で出るような風化量ではありません。




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祭神 八幡三神(応神天皇・仲哀天皇・神功皇后)
比淘蜷_(ひめおおかみ) 仁徳天皇

比淘蜷_は古来からの祭神だそうです。




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画面左の鳥居は西南西の方向から昇って来ている参道です。
ふもとにも鳥居が2本ありまして、規模的には本参道とあまり変わりません。
その方向をたどってみますと、柳井市伊陸から光市の万葉三井(みい)です。歴史的に重要拠点です。
伊陸の藤ノ木を通っているのですが、そこには古墳があったと思います。




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撮影角度的に見えませんが、画面中央に車用の参道が昇って来ています。
左の祠堂は住吉社です。




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玖珂郡志より
榊八幡宮  玉殿五座。
木体男神冠装束尊像 一尺五寸
東玉殿、女神冠装束尊像 一尺
西玉殿、男神冠装束尊像 九寸
又、東殿 木体 御長八寸
又、西玉殿、男体 御長 一尺五寸像




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榊八幡宮位置(境内にて計測)

N 34度02分36.1
E 132度12分28.7
位置精度 +− 3m







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拝礼方位 315度
社殿に向かって左手方位が特筆です。

榊八幡宮・左 ⇒ 柳井天神 ⇒ 平生町・野島神社 ⇒ 阿多田古墳 と、なっています。

阿多田古墳は推古天皇の初代陵墓です。近畿に改葬される前のことです。
そうしますと、祭神に仁徳天皇が祀ってあるのも納得できます。




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神殿を守るかのように両脇に木彫の神像がありまして、画面でも薄っすらと見えています。




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本殿に向かって左側にある稲荷社です。




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明治時代に描かれた榊八幡宮の絵図です。
明治以前から伝わってきた絵図を基にしていると思われるのですが、それはさておき、
海の見えない方向に海が描かれてあったりして、正確ではありません。そうして境内を見ますと、
今とほとんど同じです。特に祠堂の存在と位置を確認するには参考になります。
ただ、楼門は平成十四年二月に不審火によって焼失しています。
黄緑色の丸印の所が今見ている稲荷社です。そのほかの祠堂も確かに在ります。
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問題の稲荷鳥居です。




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従五位下 佐伯朝臣則通 とあるのが見えます。佐伯氏は万葉集にも登場しています。
片方の柱には(下写真) 造立牛頭天王鳥居 とあります。相当に古い鳥居です。
由来にある「鳥居田の鳥居」とは、この鳥居を言っているのではないかと思います。






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鳥居のなかに見えているのが稲荷社です。
画面右側の堂宇は妙見社です。
画面真ん中の堂宇は寄宮社と呼ばれ、
ひとつの堂宇に多くの神々が祀られています(下の図)。






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神庫の隣には玉垂社が在ります。




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本殿に向かって右側には二社の堂宇が在ります。
左側の堂宇は高良社。 右側は出雲社です。




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大正三年に町内全戸からの寄付金で造られた戦没者慰霊の招魂場です。
招魂場を悪く言いたくはありませんが、他所の多くの招魂場を見ましても、
神代史(古代史)として極めて重要な地点に招魂場が造成されています。
国からの指示が大きなウエイトを占めていた時代のこと。
ここもそうです。完全に削り取ってしまっている所は縄文遺跡であったということ。
後述しますが、この榊八幡宮の方位には九州地方最大級といわれる御領貝塚が含まれています。
縄文遺跡としての結び付きが重要であることは言うまでもありません。
他所の招魂場を見ましても、初代を隠ぺいしようとした当時の国家の方針がうかがえます。
しかし、今ではここが縄文遺跡であったことが証明されていますので、
安らかにお眠りくださいと申し上げる次第です。




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榊八幡宮の神殿の裏手になります。




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この曲がりを境に石段の風化量が変わります。
上側(こちら側)は風化が著しく、下側はそれほど風化してはいません。




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方位分析
方位 315度




社殿に向かって右手方位線です。
この榊八幡宮はエジプトギザの三大ピラミッドと大三角で直結しています。
エジプト砂漠との繋がりを証明しているかのごとく二つの大砂丘を指しています。
ピラミッドに関係した社寺は皆ここを指していることを見ましても、
エジプトとの繋がりは明確です。






社殿に向かって左手方位線です。
大分県国東半島を通過しています。
方位線付近には熊野磨崖仏が在ります。






阿蘇山を通過しています。
阿蘇は「よみがえる」という意味があります。






ややこしくなるので書きませんでしたが、
榊八幡宮は神殿と拝礼殿とでは1度の違いがあります。
今見ているのは拝礼殿の方位線です。
1度の違いは極めて微妙なのですが、神殿の方位線で分析しますと、
九州地方最大級といわれている御領貝塚を指しています。





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